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貧しい人こそ寄付しなさいってそれが難しいんだよな、するけど

人は得るもので生計を立て、与えるもので人生を築く。

ウィンストン・チャーチル

国境なき医師団からの手紙が来ていた。
内容はいつもどおりというとあんまりだが、医療が必要なのに足りていない国で何が起こっているのかが描かれている。

医師の無念に心を打たれたというわけではないのだが、5,000円ほど寄付した。
多い額ではないだろうが、何かの役に立ってほしい。

ここ数年、国境なき医師団に限らず、いくつかの組織に寄付している。
児童養護施設にいる子どもへのクリスマスプレゼント資金となる、あしながサンタとか。

最初は1,000円出すのにも抵抗があったのだが、最近はスッとお金を出せるようになってきた。
慣れだなぁ。

私が寄付をするようになったのは、なにかの本で托鉢を知ってからだ。

托鉢は仏僧の修行の1つで、お金持ちではなく貧しい人の家を回って、お布施を受ける。
初めてそれを知った時に「なんでそんなことを!?」と思ったものだ。
お金持ちからこそむしり取らんかいと。

しかしそれは、貧しい人ほど他人に「与える」機会がないから。
「与えるから与えられる」と考える仏教においては、托鉢を通じて貧しい人たちに豊かになるチャンスをあげているというわけ。

フリーランスになって財布のヒモが固くなっていた私には、この話はブッ刺さった。
自分のための物を買うのでさえ抵抗があるのに、寄付なんて考えたこともなかったのだ。

しかしそれは、仏教でいうところの貧しい人そのものである。

それで、恐る恐る寄付を始めたのだ。
だからまあ、寄付するのには「これで金運上がってくれ」的な下心もある。

実際、寄付をするようになってからのほうが収入は良い。
おかげさまで右肩上がりだ。
実績が増えたのもあるが、まさに「与えるから与えられる」のかもしれない。

ここで「このお金は私のもの!誰にも渡さない!」とすると台無しになりそうなので、その後も寄付を続けている。

結局のところ自分のための寄付なのだが、とはいえ遠い国で頑張っている医師や、子どもを育てている施設の人たちへ、感謝や尊敬の念がないわけではない。

真に偉いのは、自ら動く人たちだ。
それに比べたら寄付とはいえ、暖かい場所でスマホでぽちぽちしてクレカの引き落としを待つだけの私って……!と思わなくもない。

ただ医師ではない私がアフリカに行ったってしゃーないし、さまざまな事情をもつ子どもたちに正しく接するスキルのない私が直接できることはほとんどないだろう。
だから結局、手も口も出さないが、お金だけ出すのが最適解だと思っている。

私なんか旅行ですら海外にいかないのに、海外で誰かのために命懸けで戦っている人がいると思うと、時々「世界って、人間ってスゴ!!!!」と思う。
その「スゴ!!!!」に挟まりたくて寄付している側面もあるのかもしれない。

みんなも寄付して、人間のもつ大いなる善性の一部になろう!

ちなみにリアルで托鉢を見たことがないのだが、今もやっているのだろうか?
闇バイトが横行する今、托鉢が来ても通報する自信があるのだが、一度直接お布施を渡してみたいものだ。

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