2022_0120_本読み

1月20日(木)は以下を読みました。

山崎
『しゃぼん玉 その黒い膜の秘密』立花太郎 著、中央公論社
4 石けん膜の構造 
分子の存在

分子や原子の存在は、1811年にアボガドロによって導入された「仮説」でした。

それが実証されるのは100年近く経ったペランによるブラウン運動の研究(1908年)から、です。

その100年間「確かに原子や分子というものを設定すれば、説明はうまくいくが、、、」という状況のままでした。

なので、実証主義者と呼ばれる、オストワルド、マッハ、キルヒホッフらは仮説にとどまっている原子や分子というものを認めていませんでした。

前に『部分と全体』(ハイゼンベルク著、みすず書房)をヒッポのグループで読んでる時「実証主義」出てきたな、と思いました。そこでは量子力学の考えを、実証主義者は全然認めない、というようなことだったと思います。



はやしさん
『エイモスさんがバスに乗り遅れると』
フィリップ・C・ステッド  文、エリン・E・ステッド  絵
青山南  訳、光村教育図書

遠足に行こう、としたのにバスに乗り遅れるエイモスさん。
遠足、ってこういうこと、という展開でした。



めいさん
『節英のすすめ』
木村護郎クリストフ 著、萬書房、
第2部 節英はどのようにできるのか
11 意外と日本語でいける
国際語としての日本語
(3010〜3022/3674)

〈と考えるのが、三つ目の、日本語のための国際化です。〉

という文で、この11章は終わったのですが、さて、あとの二つは?と問われると答えられませんでした。

そもそも、ここの小見出しは

日本語による国際化
日本語の国際化
日本語のための国際化
国際語としての日本語

であって、ちょっと頭がくらくらきます。



きよもとさん
『家守綺譚 』梨木 香歩  著 、新潮社
セツブンソウ

鬼の子、などというものはもうしばらく経てば、存在しないものになるだろう、というような台詞が出てきていました。

明治後半とおぼしき時代が舞台なので、それは「今」のことを言ってるのね、と思いましたが、鬼滅の刃が大ヒットですよね、なんてことを読後しゃべりました。

セツブンソウはあまりよく知らない花でした。調べるとキンポウゲ科で、アネモネと真ん中あたりが似た雰囲気の白い花でした。



山崎
『芭蕉連句集』岩波文庫、
二〇 雪の夜は(幽蘭集)72〜74ページ

現代語訳はないので、注からヒントをもらって、こんな感じなのかな、と推測するのがけっこう楽しいです。

が、注もなにも無いところも多いので、そうなると、句と句の繋がりがわからないところも結構あります。

今日のところでは

〈 産棚(うぶだな)に白絵の桶を居(すゑ)ならべ  友五

          濁(にごり)をすます砂川の水  夕菊 〉

これが繋がりがわからなかったです。桶にお湯が入ってるから、水はつながっているけれども、それだけではないですよね。

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