身体に注意が向くようになってきた
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ジョギングが趣味です。
毎朝のゆっくり走り(歩くより遅く30分〜1時間走る)と、
(自転車、車、電車などを使う)買い物など目的地への移動をなるべく走ってする、
という趣味です。
特に楽しみなのが、まあ、年に数回なのだが、地方の大学の授業前に、駅や宿から走って行く、ということ。わざわざ早い時間の電車に乗ったりして、ゆったり走って通勤。
今週、先週は宇都宮の大学。朝、川沿いの斜面にクズが繁ってるな、と思っていたらなんか別の花を発見。帰りに写真を撮りつつ観察。
ガガイモ科?ってなんとなく思ったが、アレチウリというウリ科の植物でした。種がすごくかっこいい。クズの方は花がほとんど終了、こちらも種ができてました。
手前のくるくる〜ってなってるのは、いかにもウリ科。すごく混じって繁っていました。まあ、こういうのを見つけたりするのが楽しいのです。
さて、やめたり再開したりあるけど、高校生くらいから、ずっと続けてるジョギング。随分前には、ワラーチを自作してワラーチマラソンっていうのに出たりしたけど、マラソンをやるようにはならず。2017年に足を傷めてからは、すごくゆるゆるとやっています。その時の痛みとか張りとかは今は無くなっているんですが、ここ最近は、常に大腿三頭筋(腿の前っかわ)が筋肉痛、そして膝痛。これ問題です。
スクワットでもないのに、ここが痛くなるのは、相当足の使い方がおかしいに違いない、と昔習った(そして挫折中の)構造動作トレーニングとかフィジカルメソッドフォービーイングとかを思い出すようになってきました。コロナ期は、頭が混乱して、身体のことなんかまるで注意が行かなかったな、と、やっと感じるようになってきた、ということです。
最近は、ゆっくり走ってると、頭の中にいろんなことがでてきます。
そんな中に、製本でヘラを使ってる時のことがありました。道具って体の延長というか、ヘラ先で何をしたいのかがわかってて、そう動いている。
ところが、その作業を見せても、意外に相手にはそれがわからないことが多いです。そんな時、ヘラ先にしたいことが伝わっていないなあ、というのが、こちらには手に取るように見えます。
このことと、今の自分のダメなジョギングが似ているような気がします。ヘラ先という体の外じゃなくて、体の中の筋肉の起点とか関節の起点にもイメージが持てればいいのでは?と漠然と思いました。ヘラの先に触覚は無いし、体の中にも触覚は無い(のどを過ぎた冷たい水は、忽然と体の中に消えてしまう!)けれども、ヘラでできたことは、体の中でもできると思うのです。
さらに思い出したのが、花ぎれ編みのこと。
製本を学びだして、動きそのものが難しかったのがこの作業。
右手は向こうで、左手は手前で糸をひっぱって、きれいに三段に糸の交差を作るのですが、これがうまくできず。両手がものすごい力で前後にひっぱりっこしてしまう(アクセル踏みながらブレーキもかけるみたい)ので、2時間くらい練習すると筋肉疲労でご飯の時お箸をポロッと落としてしまう、というふうになってました。いつの間にか、動画のようにちゃんとできるようになったんですが。
この時のことを説明するのにいつも「力を抜けばいいのにそれができず」と書いてきたのですが、よく考えると、力が抜けたのは結果であって、指のどこをどう使えばいいかを体が理解したからだな、と考え直しました。
ジョギング時のももの筋肉痛も、上記の製本体験のように、イメージとそれを理解する身体で誤解を解いていこうと思います。