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公立病院改革3-最終【立ち続けることの大切さ】〈2006年〉東北170床 公立F病院
市長は僕に、言う。
「あなたのおかげで、本当に助かったよ。あなたのおかげで、市が救われた」
これには、さすがに驚いた。
「とんでもない。ボスが飛ばした指示通り動き、承継候補を探してくれたから、上手く行ったんです。自分はずっといただけだから」
と照れていると、市長は続けて言う。
「違うよ。結局、最後までいたのは、あたなだけだったんだよ。
あなたがいなかったら、どうにもならなかったんだよ」
と、力強く言いながら、両手で固く握手をしてくださった。
市長は片手が少し不自由で、指が開かない。
その手も使って力強く、握ってくださったことをよく覚えている。
確かに外注コンサルの方々の助力で業務は進み、最後は当事務所の顧問や税理士にも助けてもらったが。
結局、最初から最後までいたのは僕だけだった。
このときの市長の言葉に、僕は深く感激し、いまも深く脳裏に刻んでいる。
しかし市長の言は、ただ労いとしてだけでなく、後に、実務上とても重要な意味があると理解できた。
「そこに居続ける」
「その場所に立ち続ける」
「最後を見届ける」
仕事をする上で、その意義深さを胸に刻むことになった。
確かに、どこかの場面で「担当者が変わりました」「この金額では受けれません」となれば、そこでゲームオーバーとなる可能性があった。
スキルが無くガサツな人間であっても、そこに立ち続けて、懸命に双方に情報を発信し続けた。
そのことにより、両市もボスも常時状況を把握し、対応できたのは事実だ。
僕である必要はなかったのだろう、誰であっても良いのだと思う。
しかし後年、様々な実務をする中で、僕より優れた人はたくさんいるが、「そこに立ち続けてくれる人」は、意外に少ないと実感する。
そこを最後まで見届ける、最後まで一貫して全力で対応する、というのは、実は社会全体として喪失しかけている、業務の基本的な機構のようなものなのでないか。
その後ボスに、頑張ったから報奨金みたいなものが欲しい、と言ってみたら、非常に気前よく金一封をくださった。
ここ頃はまだ、僕はボスの凄さの「片鱗」しか知らなかったが、少なくとも本件F病院を通じて、ボスの「片鱗」には触れることができた。
しかしやはり、何より幸いしたのは、病院が存続し、その上で両市が破綻を免れたこと。
そして僕、個人として、市長がくださった労いの言葉と固い握手は、忘れ得ぬ一生の財産である。
残念ながら市長は、2011年の東日本大震災で被災され、帰らぬ人となってしまった。
被災した年の夏に市役所訪問した際に、市役所で黙祷させていただいた。
本当に濃厚で、危険で、そして得難い1年2ヶ月の時間帯が終結した。