真の幸福は外に現れる
2023年10月25日
今日は午前中オンラインで講演。接続先は韓国で通訳を介して二時間講演。一時間話した後、質疑応答。途切れることなく質問が続いた。リハーサル(設定などの打ち合わせ)は八時半からだった。この頃は夜遅くまで仕事をしているので、いつもなら寝ている時間である。
明日から始まるNHK文化センター(梅田教室、オンライン)でも取り上げることになっているが、今日の講演でもどうしたら理論を実践できるかという質問が最初にあった。
昨日、書くために考えるのではなく、考えるために書くと書いたが、考えるのは生きるためである。例えば、幸福とは何かを考え理解できたとしても、実際に幸福に生きられないのであれば、意味がない。
ジェラルド・ダレルの『虫とけものと家族たち』の訳者である池澤夏樹は、あとがきの中で次のように書いている。
「幸福の定義について哲学者たちは古来いろいろと理屈をならべてきたが、実例を出すという一番わかりやすくて簡単な方法をとった者はいない」
この本はイギリスからギリシアのコルフ島へ移住した一家の物語である。ダレルの本の中に出てくる人たちは皆幸福に見える。末っ子のジェリー(ジェラルド・ダレル)は、目につく限りの生き物を家へ連れて帰って飼おうとするので、このままでは野生に戻るのではないかと家族は心配したというような話を読んでいると、こんなふうに生きることが幸福なのかよくわかる。
池澤が指摘するように、「たぶん哲学者たちはあまり幸福ではなかったのだろう」。「実例」を出せる哲学者、つまり、「ほら、私はこんなに幸福なのですよ」といえる人がいなかったということである。たしかに、哲学者の肖像画、近世以降であれば写真の中で微笑んでいる哲学者をすぐに思い浮かべることはできない。
ダレル一家の幸福と哲学者たちの幸福の大きな違いは、幸福が外に表れているかどうかである。三木清は次のようにいっている。
「機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現れる。歌わぬ詩人というものは真の詩人でない如く、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではないであろう。幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如く自ずから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福である」(『人生論ノート』)
幸福は必ず外に表される。その外に表れた幸福が他者に「伝染」するのである。