【R18恋愛小説】ストリート・キス 第2話「始まりはストリート・キス」
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彼女が自分よりも九歳も上だと知ったのは、歓送迎会も中盤に差し掛かり、僕も周囲の先輩たちもアルコールが回って良い気分になった頃に、気づいたら隣に座って赤い顔でビールを注いでくれた彼女本人の口からだった。
「江田くん。もう仕事慣れた?」
「はい。えっと、なんとかやってます」
宴会場になった居酒屋の10畳ほどの広さの個室。端っこの方にいたはずの彼女、松木香奈美がいつのまにか隣にいる。そこは元々、佐藤係長の席だったが、当の係長はどこへ行ったのか、目で探していたら上山さんという中年の男性と大声で話し込んでいた。他の人たちも、それぞれ酒の入ったグラスを持ち、席を移動して好き勝手に話し込んでいる。
すぐ隣にいる松木さんとの会話にも大きな声でしゃべらないと聞こえないほどににぎやかだった。
「江田くんは新卒で入社だから23歳?」
「そうっすね。10月の誕生日で」
「若いなあ。羨ましいわ」
彼女の上気した顔をチラッと見る。けっこうかわいい。
…羨ましいって…この人、若く見えるけど、いくつなのかな。
女性に年齢は聞いてはいけないというセオリーが頭をよぎったが、酔った勢いで聞いてみた。
「ふふ。いくつに見える?」
「ええと…」
歳を聞かれた女性が言いそうなセリフを返され、しばし考えてから、印象どおりに「25歳」
と言ったら
「うまいなあ江田くん」
笑いながら、実際の年齢を教えてくれた。
「わたし、とっくに三十路なんだよ。おばさん。子どももいるし」
「ぜんぜん見えません。それにおばさんなんかじゃないです。すごく若く見える」
「ふうん。ねえ、彼女とかいるの」
注いでくれた生ぬるいビールを飲み、首を振る。
「いません。モテないんで」
「嘘だあ。モテそうな顔してるよ」
「嘘じゃなくて、彼女いない歴二年かな」
「へえ。ねえ…」
急に彼女が体をくっつけてきた。僕の腕に彼女の胸の膨らみが押し付けられ、持っていたグラスからビールが跳ねた。
「宴会が終わったら、二人で飲みに行かない?」
耳元で彼女がささやく。湿った甘い声だった。かわいい声なのに大人の女の艶っぽさがある。
「あ、はい。行きますか」
とっさに返事をするも、予想もしなかった展開に急に酔いが覚めた。困ったことも起きていた。アルコールが回った血液が股間に集結しているのだ。座敷なので僕は座布団の上にあぐらをかいている。そこが勃ってしまったのを彼女に悟られないように前屈みになり、誤魔化すように、グラスに残った生ぬるいビールを一気にあおった。
♢
職場のみんなからこっそり抜け出した僕たちは、彼女がよく行くという居酒屋へ行った。彼女はとても楽しそうで、居酒屋へ向かう道すがら、スッと腕を絡めてきた。小柄なその温かい体がまたもくっついて、僕の腕にまたも彼女の胸の、柔らかな丸みが押しつけられ…。
決してグラマーな体型じゃないのに、バストだって慎ましやかな隆起でしかないのに、なぜこんなにも意識してしまうのだろう。彼女と並んでぎこちなく歩きながら、僕の股間はまたもや固くなっていた。
小さな居酒屋だった。狭いカウンターとテーブル席が二つほどの10人も入ればいっぱいになってしまいそうな広さだが、客は僕たちしかいなかった。彼女と何を話したのかよく覚えていない。覚えているのは彼女のタバコを吸う姿だ。電子じゃない煙が出るタバコをバッグから取り出した彼女は、小さな口に一本くわえた。
「火をつけてくれる?」
渡された100円ライターで火をつけてあげた。斜め横を向いて煙を吐く。なんだかちょっと気だるい感じで色っぽい。職場で見る彼女とはぜんぜん違う。かわいくて若い印象だったけれど、僕から見たら職場の同僚で先輩、ただそれだけの存在だったのに、今は一人の女性として、僕のそばで横座りになってタバコを吸っている。
「江田くんも吸う?」
聞かれてちょっと考えてからうなずいた。新しいタバコをくれると思っていたのに、彼女が吸っている火のついたタバコを差し出され、わけもわからず受け取って口にくわえてから、いきなりそこで気がついた。
…ああ、これって間接キスだよな。
フイルターになすったようなかすれた赤い色があった。彼女の口紅だ。それを口にくわえ、彼女の真似て横を向き、そっと煙を吐く。
「それ、返して」
「はい?」
「江田くんが吸っているそのタバコが欲しい」
とろんとした濡れた目で"欲しい"なんて甘ったるくささやかれた僕は、やばいなこの人と思いつつ、どきどきしながらタバコを彼女に返した。
♢
居酒屋から出ると夜の街に小雨が降っていた。予報どおりだ。折りたたみ傘を開こうとする僕を彼女が止めた。
「私の傘で一緒に帰ろうよ」
僕の方が背が高いから傘を持ってと言われた。
相合傘で二人でくっついて歩く。その道をまっすぐ行くと駅に着く。ひと気のない小さな交差点に差し掛かったとき、いきなり抱きつきてきた彼女が、驚いている僕の唇に自分の唇を押し付けたきた。
「ぎゅっと抱いて」
ささやいてからまたキスされる。思わず僕は、彼女の背中を抱きしめて不意打ちの口づけに応えていた。
キスなんて久しぶりだったから、女の唇ってこんなに柔らかいんだっけ、なんて、ジーンと痺れたようになっている頭でぼんやり思った。
「そんな力しか出ないの」
「えっ、と」
「もっと強く抱いて」
差していたはずの傘が道に転がっている。そりゃそうだ。傘を差していたら抱き合ったりキスしたりできっこない。
強く抱きしめた僕の手に、カーディガンと薄いブラウスの下の温かい体が感じられた。柔らかな唇の感触も。
いつまでそうやっていただろう。痺れていた僕の頭を現実がノックした。
…これは、この状況はまずいぞ。彼女は既婚者で、今僕たちが堂々と抱き合ってキスなんかしているのは、駅にほど近い路上なんだ。誰かに見られたら、というか僕らの横を通り過ぎていく人たちが増えてきた。すでに見られている。
「松木さん。もうやめましょう。見られてます」
キスを中断した僕が体を離そうとすると
「見られてもいいもん」
抱きついた腕を緩めてくれない彼女に途方に暮れてしまう。
「ねえ。キスしてよ」
「だめですって」
「なんで?」
…なんでってさあ。何を言っているんだろうこの人は。貴女は既婚者で子どももいて夫もいて、僕の同僚で仕事を教えてくれた大先輩なんですよ。それなのにこんな無防備な顔して、何をやっているんですか…なんて言えなかった。
求められるままに彼女をきつく抱きしめ、キスを交わす。道の真ん中で抱き合っている僕たち二人の横を、夜の街を行く人々が通り過ぎていく。
そして僕は、人妻に恋した愚か者になった。かわらしい、でも小悪魔な貴女の虜に…。
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第3話「小悪魔なあなたにぞっこんです」へ続く
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