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議論することを好め。

わたしは、人と会話をすることは好きだけど議論をすることは避けたがる。
批判的思考というものを幼少期のシビアすぎる集団行動のどこかでまったく無視して育てなかった。
 
家族の中ではそうでもないのだけど、
友達や社交の場で会う人とのコミュニケーションをとる時は、
「どんなことを言えばこの人に私のことイヤだと思われないか?」と
まず考えてしまうと思う。
素直であること、客観的にみること、賛成する前にじっくり考えること、よりとにかくその場を和やかにやりすごすことを優先する傾向にあると思っている。
 


真剣でないことを恐れろ

人間は失敗から学ぶのだろうけど、何よりも失敗を怖がると
学ぶための材料もその分減って、最初の意見からの成長度が圧倒的に小さくなってしまうんだろうな。

「失敗よりも、真剣でないことを恐れろ。」


他の文化からコミュニケーションを捉え直してみる


ひょんな偶然で数年前からイタリアの文化と人とのご縁があって、
秋休みの間フィレンツェに住んでる友人の家族にお世話になった。

メドゥーサの首を持つお兄さんに釘付けな私

どういう風に議論を運ぶかを国ごとに比較した研究結果があってね、日本とイタリアは結構反対なんだ。笑
イタリア : 感情の表現が大きい・衝突は好みはしないがokay(けど感覚的には気にしてなさそう笑、この調査はビジネスの場面だしね)
日本 : 感情の表現が小さい・衝突はなるべく避けたい

日本ってやっぱり不思議な国だねえ



数年前は、彼女たちと一緒に過ごしていて、なんで他人のことを尊重できないのだろうか?こんな口調で喋ってお互いのことが嫌いなのか?という疑惑まで抱いていたのだが。(懐かしい、、笑)
だけど今回のステイで何となく府に落ちたのは、本当にただ素直で相手にも自分にも最善策を提供したいからそのためなら何でも言うということ。
 
もちろん自分だけの意見を押しつけたり、他人にスペースを与えないのはよくないけど、自主性を持って、何が目的でいまどこにいるのかを客観的に捉えながら、素直に相手と向き合って話をする姿勢はとても大切だなと改めて思った。

タイトルと関係ないかもしれないけど、
やっぱり人との繋がりって良いなと思った一枚
(ばあばと孫)
フィレンツェにて。


 もう一度リヨンでの日常を抱きしめ直しましょう。
まずは来週のテスト勉強から🎓



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