【こんな映画でした】199.[アンナ・カレニナ](1948)
2020年 2月24日 (月曜) [アンナ・カレニナ](1948年 ANNA KARENINA イギリス 111分)
ジュリアン・デュヴィヴィエ監督作品。昔、ソ連映画のカラーのものを観た覚えがある。こちらはモノクロで、何と言ってもヴィヴィアン・リーの映画ということか。たしかに見応えのある女優だと思う。上目遣いで目がパッチリしているところは、オードリー・ヘップバーンと似ていると思った。
それにしても愛というのは、そんなにも儚いものなのだろうか。何らかの保証がなければ、持続できないものなのだろうか。悲しいことに実態としては、そういうことなのだろう。
保証とは何か。まずは経済生活の心配のないこと。そして友人や親戚などのある程度の祝福と好意。さらに子どものことや、健康・趣味・生活習慣などが数え上げられる。それらの基盤の上に存在しうるのだとしたら、なかなかに大変なことだ。
いや、むしろ崩壊してしまう切っ掛けや条件のほうが数多くあるということだ。愛し合うだけの時間だけで、人生が終わっていくわけではない。それぞれに個別の人生というものがある。いくら愛し合っていても、一年365日、一日24時間、ずっと一緒にいて、顔を見合っているわけにはいかないのだ。
贅沢な話だ。恋している時は、それが理想であり夢であったのに、実現すればそれがかえって負担になる。そして疑心暗鬼。なんと厄介なことか。
ここでは宗教上の理由で、アンナの夫は離婚を拒否するが、それは言うまでもなく復讐であり、何ら生産的なものではない。しかしそのような負のエネルギーを彼は生きる原動力にしていくしかないのだろう。どうしてこのような不幸な事態になってしまうのか。そもそもアンナの結婚がまずかったのか。難しい。
映画の出来としての評価は、あまり芳しくないようだ。しかし何と言ってもトルストイの大長編を二時間かそこらでまとめるのだから、無理と言えば最初から無理なのだろう。だから原作の小説とは別のものとして観ればいいのだと思う。私はそれなりに堪能できた。もちろん、恥ずかしながら小説は読めていない。