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【こんな映画でした】1001.[若者のすべて]

2019年 3月 9日 (土曜) [若者のすべて](1960年 ROCCO E I SUOI FRATELLI 177分 イタリア/フランス)

 二回に分けて観ることに。見終わって30秒ほどは身体が震えていた。こんな作品だったのか、と。そしてもっと早くに観る機会はなかったのか、と自問するのだった。今になってようやく観られて、それは良かったのだが、1960年の映画なのだから、もっと早くに観られたに違いないのに、と少々残念な気持ちになった。若い時に観るのと、今、老境にあって観るのとではずいぶん違うものだろう。

 長時間なのにぐいぐいと観させられてしまう。長さを感じさせない。それが「さすが」というべきなのだろう。これまで[ベニスに死す]しかルキノ・ヴィスコンティの作品は観てきてなかったので。何と言ってもアニー・ジラルドがいい。意外だったのは、背が低かったこと。しかしいい味を出している。

 ラストでチーロに言わせていた。優しいことはいいことだが、何でも許してしまってはいけない、と。ロッコのことを言っている。家族第一主義といってもいい、絆の強さ。見ていて息苦しくなるくらいだ。しかし貧困の中ではそうでなければ、つまり家族が協力し合わねばやっていけない現実なのだ。

 そして父親亡き後なので、母親が頑張ることに。「母親の言うことが聞けないのか」と言う。本来なら長男がしっかりしていなければならないのだが、どこでもそうなのか頼りないのである。

 次男は、その長男の代わりに家族を守ろうと意気込む。しかし自分の欲望を抑えることができない。女性にもすぐちょっかいを出す軽さがある。そして何より彼は、私には不誠実にみえるのだ。洗濯屋でのシャツを盗むシーンがあった。あるいは当然のように三男・ロッコの日当を拝借してしまう。金にルーズで、お調子者であることが示される。もちろんそれは良いように解釈したら、友達付き合いが良くて(悪友というべきだが)、みんなから愛されているということにもなるのだが。

 四男のチーロは真面目一筋で夜学を出て、アルファ・ロメオの工場で働くことに。五男のルーカはまだ幼い。そんな兄弟の中にあって三男のロッコは、間に挟まれていてみんなの仲介役になるように期待されていたということになるようだ。

 しかしきつい言い方だが、このロッコのせいでシモーネもナディアも破滅していくのだ。不誠実なシモーネなのに、兄弟だというだけで味方してしまい、ナディアの人権も思いも無視してしまう。ナディアは刑務所から出てきて、やり直そう・立ち直ろうとしていたのに。

 その結果が、シモーネによるナディアの殺人である。その点を、最後に四男のチーロに言わせている。ただもはやその時には、ロッコの姿は登場してこない。もちろん長男も次男・シモーネも。

 ラストは、五男・ルーカがチーロへの用事を済ませ、広々とした道路を向こうに帰って行くところで終わる。

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