【こんな映画でした】802.[突撃]
2023年 3月 3日 (金曜) [突撃](1957年 PATHS OF GLORY アメリカ 88分)
スタンリー・キューブリック監督作品。ダックス大佐をカーク・ダグラス(撮影当時40歳)。アドルフ・マンジューが味方と見せかけて、自己の栄光のために大佐や兵を利用することに。強烈な凄まじい軍隊批判の内容だ。
キューブリックはこの作品について「キューブリック全自作を語る」(『世界の映画作家2』1970年 キネマ旬報社)で次のように語っている。
「この映画はフランス軍の腐敗をあばいたというカドで、フランス政府によって上映禁止処分を受けたが、誤った措置だと思う。単に政治的な理由で映画を禁止したりすべきできない。ましてその事件が、これほど古い場合には。政府としても、常識があるとは思えない。実際こんなのは<コップの中の嵐>なのだ。」
【案の定であった。他のメイキングによると、フランスで公開されたのは約20年後のこととか。】
「完全に真実でないものは、映画においてはそれほどよくないということだ。」(同前)
【はやり嘘というか、絵空事ではダメなのだろう。】
「これはシニックな調子のロマンチックな映画だ。なるほどダックス大佐は人間性というものを、その最も見苦しい形において発見するが、また一方で彼は人間たちの中に明るい光線をも見る。ラスト・シーンでドイツの娘が兵隊たちの前で唄うところは、人間というものは最も醜いこともできるが、最も美しいこともできるということを示している。」(同前)
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ラストの5分間は、ドイツ人の若い女性がフランス兵たちの前で(場所は兵たちの酒保であろう)唄うシーン。最初は敵国女性ということで冷やかしたりブーイングをしていたが、彼女の歌が聞こえてくるにしたがい、兵たちは静まりかえり耳をかたむけ、ついには涙して聴く兵も出てくることに。
このシーンについて他のメイキングでマーチン・スコセッシ監督は、感動的な涙なくしては見られないシーンだと言っている。悲しいかな私にはその歌の内容が(ドイツ語だが、日本語字幕がある。英語字幕にすると歌の部分の字幕は出てこない。理解できるということなのか)分からないので、そのようにまでは思えないのだが。たしかスピルバーグ監督もキューブリックの死が伝えられた時、居合わせたみんなでこのシーンを観たと言っていた。
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原題の「栄光の道」の「path」には、「道、通り道、小道、通路、細道、散歩道、進路、経路、軌道、方針」の意味があるという。将軍たちは、その出世と名誉という「栄光」のための「方針」としてそのようなやり方をやり、あるいはそのような「通り道」を通って栄光へたどり着くことができるのだということか。
つまり軍隊の士気の高揚のためには、3人の兵の命など何ほどのこともないというわけである。この点の解釈で、この映画を反戦映画と観る見方も出てくるのだろう。しかし立場が違えばそうとはならない。軍隊・軍人のやり方・生き方としては、このようにやることが大事なのだぞと教訓を垂れているわけでもある。これに学んで実際にそのように行動する人たちもいただろうし、彼らにとってはこの映画は反戦映画どころか、好戦的とは言わないまで役に立つ映画なのである。
だからキューブリックは「反戦映画」とされることに戸惑ったのだろう。後に本当の戦争映画を作ることになる。[フルメタル・ジャケット]である。