【こんな映画でした】456.[こうのとり、たちずさんで]
2022年10月14日 (金曜) [こうのとり、たちずさんで](1991年 TO METEORO VIMA TOU PELARGOU THE SUSPENDED STEP OF THE STORK ギリシャ/フランス/スイス/イタリア 142分)
テオ・アンゲロプロス監督作品。ギリシアの政治家失踪とアルバニア難民が基本のアイテムと言えようか。辻邦生が『美しい人生の階段 映画ノート'88~'92』(文藝春秋 1993年)の中で紹介している映画ということで。
俳優はギリシアの政治家にマルチェロ・マストロヤンニ(撮影当時67歳)、その妻にジャンヌ・モロー(撮影当時63歳)。狂言回しというかジャーナリストをグレゴリー・カー。
1シーンの長回しなどのこの監督の特色が出ている。特に結婚式のシーンなど、私たち観客側にも極度の緊張感を持たせる。映画には様々な結婚式のシーンが描かれてきているが、これはまた何とも強烈なものだ。それは、河のこちらに花嫁、河の向こう側に花婿がいるというものなのだ。
内容はシビアである。ヨーロッパという地域の、「原罪」のようなものを私は感じる。彼らヨーロッパ人(?)というのは、どうして斯くもバラバラでいがみ合っているのだろうか。
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オープニングシーンは海。しかしその海上をヘリコプターが旋回しており、その下の方を見ていくとどうやら水死体のようなものが浮遊している。説明があり、アジア難民がギリシアに入国を拒否されて入水自殺したものだ、と。これが伏線でもある。
場所はギリシアのはずなのに、道に雪が積もっている。ということでギリシアはギリシアでも北部、アルバニアとの国境ということになるようだ。つまり国境線はアルバニアとのそれであると。
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将来を期待されていた政治家が議会での演説に、謎の言葉をつぶやくように残して失踪するというもの。その言葉とは「時には、雨音の背後に音楽を聴くために、沈黙が必要なのです」。DVDに同封されていたリーフレットで監督は、「近年、政治が単にもう一つの職業にすぎないことを悟るようになったのです」、と述べている。
さて、妻も何も知らされず、残される。数ヶ月後、一旦、戻ってくるも再び消える。同じ道を歩むことはできない、といったメッセージを留守電に残して。それから10年。ジャーナリストがこの政治家らしき男をアルバニアとの国境付近の映像でたまたま見つける。そこから彼を探すためにテレビクルーをともなってアテネからその地へ趣くことに。その元政治家らしき人物を発見し、元妻(ジャンヌ・モロー)に連絡を取る。そして彼女がそこへやって来る。
ついに再会かと、息を呑むようにして見守っていたが、元妻がクルーの方に戻ってきて「違う、彼ではない」、と。この間、二人の間の視線のやりとりは映し出されない。元妻だけをクローズアップしているだけなのだ。上手いやり方だ。元妻が立ち去るとはじめて男の方にカメラが向けられ、やはり別の方向に立ち去っていく。その表情はよく見えないまま。
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いよいよラストシーン。ジャーナリストが再度国境の橋の上に立ったとき、呼ばれて大急ぎで河へ。すでに男は河を渡って、アルバニアへ戻ってしまったらしいと大佐から聞かされる。確認はできないが、と。大佐は立ち去り、ジャーナリストが河べりに向かうと、元妻が佇んでいた。ジャーナリストには気づかず、車で立ち去る(余談だが、これもベンツ)。
そこから左へ視線を河の方に移すと(パンすると)、その中洲にはあの花嫁というか男の娘(とされていた女性)が居た。ジャーナリストに気づくと、彼女はこれまた立ち去っていく。ロングショットなので顔までは分からないが。
ジャーナリストが河べりに帰っていくと、今度はあの男の家に来ていた少年がやはりそこに佇んでいた。彼はとうとう男から凧の話の結末を聞けなかった、と。これでもう男が河を渡って立ち去ったことが確定されるわけだ。
その少年との凧の話の会話をした後、自分が乗ってきた車の方に歩いて行くと、10本余りの電信柱に、作業員が取りついている状景に出くわすことに。それを背景に彼は河岸へ下り立っていく。河面に電信柱と彼の姿が映っているとところまできて、映画は終わる。
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この政治家が一体何に絶望して、政治家を辞めるだけではなく、妻も捨てて失踪したのか。これにはギリシア政治の暗黒面があり、それに対する批判なのかもしれない。人が真摯に生きていくためには、これはしてはならないということがあり、その一線を越えたらもはや人間ではない、と彼が考えるに至ったのではないか。妻もそのことにうすうす気が付いていたはずだ。それでも妻にはショックであったろう。だから10年経っていても、会いに行ったということ。そしてひと目、対面して(数十秒)、すべて理解したのではないか。釈然とはしないまでも、納得はしないまでも、理解はしたのかもしれない。
だから結婚式で一区切りついて、彼は再び失踪することになるのだ。残された人々は、思いを残しながらも、彼への執着は断ち切って、それぞれに生きていくしかない。
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映画の中でショッキングなエピソードとしては、クルド人どうし(私はすぐには分からなかった)が諍いをして、「裏切り者」と罵り、彼は裏切ってないと言うのだが、翌朝、彼は駅で首を吊られて殺されているのだ。
インタビューで監督は、「この映画の支配的な色は、緑がかった灰色だと言えましょう」、と。たしかに綺麗な「緑がかった灰色」であった。
なお字幕は作家の池澤夏樹であった。
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