【こんな映画でした】965.[ヴァイブレータ]
2021年 7月 3日 (土曜) [ヴァイブレータ](2003年 VIBRATOR 95分)
廣木隆一監督作品。寺島しのぶ主演。撮影当時30歳くらいか、31歳の役柄。相手の男性を大森南朋、撮影当時30歳で役柄は28歳。
上野千鶴子の2015年 9月に読んだ『映画から見える世界 観なくても楽しめる、ちづこ流シネマガイド』(第三書館 2014年)に紹介されていた映画。ようやく中古を入手して、観る。成人向け映画ということで男女の営みのシーンがある。
こういう女性を身近で知ることはなく、見ていても何となく分かるけれど、実感には至らない。ただ分かるのは、みんな寂しくて人との触れ合いを求めているということ。その肌の触れ合いは、また怖いもので、そう易々と実現できるものではない。
しかしここでの主人公は、その直感によってか、大森南朋扮する長距離ドライバーの助手席に乗ることに。そしてロードムービーが始まる。
*
彼女は直接自分の抱えている問題を、彼に話すわけではない。ぶつけるわけでもない。ただ「触れたい」との思いで、車のなかでの時間をお喋りしたり触れ合ったりして過ごしていく。
しかし、その途上の折々に目に触れ、耳に聞こえてくるものから自分の問題を思い出さされ、嫌な思いに陥っていく。そして食べたものを吐くことに。それでも彼はそれらを受け入れる。もっとも、車の中では吐かないで、と。
ラストシーンは(おそらくオープニングシーンと同時に撮っていたのだと思うが)最初彼らが出会ったコンビニ。彼女がトラックから降り、コンビニの前に佇む。それを何とも言えない表情で見やりつつ、彼はトラックを発車させる。これはおそらく永遠の別れとなることに二人は気付いている。
ほんの数日のアバンチュール。しかし彼女には大きな変化の切っ掛けになるようだ。もちろんこの先どのようになっていくのかはまったく不明なのだが。一方、男の方は数日間のこの女と過ごした時間は、この先の彼の人生には何の影響も与えないような気が私はする。
一つのことをともに体験しても、男はその上っ面だけを滑っていくだけ。女は深くその心と身体に何かを刻み込んでいくのかもしれない。と書きながら、これは観念的で、本当は私には何も分かってないのだろう。理解できる範疇を超えている。そういう理解できないジャンルもあるということだ。分からないままに、目に映った在りようをただ眺めているだけでもいいのだろう。
肌の触れ合いを求めるというが、本質的には心の触れ合いだろう。それを物理的に実現するのが裸での肌の触れ合いということ。上野千鶴子は他の個所で「いつの時代も、どこの社会でも、男は女の愛に値しない。なぜなら女の愛のほうがずっと深いから。(P.27 [レオニー])」、と。そして今作については、こんな優しい男は現実にはいないだろう、とも。
なお原題の「ヴァイブレータ」は、「振動するもの」ということ。心が振動する、ということか。
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