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【こんな映画でした】932.[戦火のかなた]
2020年 5月22日 (金曜) [戦火のかなた](1946年 PAISA イタリア 126分)
観ていて何とも辛く悲しい映画である。フィクションだとは頭では思っていても、そこに映し出される映像はドキュメンタリータッチで、重く心に響いてくる。できることならこのような作品は観たくないものだ。それが事実であったろうから。6篇のオムニバス映画でもある。
監督はロベルト・ロッセリーニ。[無防備都市]に引き続いて観たので、よけい疲れた。しかしイタリアのこの歴史は複雑だ。この映画では、それまで味方であったはずのドイツ軍と戦っているのだから。
連合国軍に加わったイタリアの庶民が、ゲリラとしてドイツ軍と戦う。そして大きな犠牲を払うことに。実際はどれくらいの人が亡くなったのだろうか。最後の6つ目のエピソードでは、たくさん殺されている。
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第一話は、やや不可解なのだが、要するに民間人が味方であっても軍隊あるいはパルチザンに利用され死んでいく(殺されていく)ということか。
第二話は、MP(アメリカ兵)と両親を亡くした子どもとのやりとり。哀感がある。またそれを感じ取れた兵も大したものだ。
第三話は、ローマ解放のアメリカ兵を歓迎する模様とその半年後。フレッドというアメリカ兵がその両時期に出会った女性(フランチェスカ)とのやりとり。半年後には娼婦となっていた、という悲話である。哀切。
第四話は、市街戦の模様。愛する人や家族に会いたいという思いは分かるが、その結果としてパルチザンに犠牲者が出る。
第五話は、僧院での話。カトリックとプロテスタントとユダヤ教徒という、三者の相克。といってもこの僧院はカトリックなのだが。人々の頑なな考え方というか、それは宗教者として当然のことなのかもしれないが、やりきれない。
第六話は、ドイツ軍とパルチザン・アメリカ兵・イギリス兵との間の戦闘。力の差によりパルチザンたちは降伏。翌日、兵は捕虜として遇されるが、パルチザンは直ちに殺されていく。国際法に則って。今さらながらの戦争の残虐さを描く。