【こんな映画でした】24.[大人は判ってくれない]
2019年 6月18日 (火曜) [大人は判ってくれない](1959年 LES QUATRE CENTS COUPS THE 400 BLOWS 99分 フランス)
フランソワ・トリュフォー監督作品。ようやく借り出して、観ることができた。なるほどこんな作品だったのか、と。それにしても救いのない内容である。ラストシーンもそれを見事に物語っている。
フランスという国は、やはり保守的であり、その学校教育の有様を見ているだけでゾッとする(かつての日本も同じだったが)。言うことを聞かなかったり、課題ができないと、すぐに罰を与える。立たせたり、叩いたり、教室から出したり、あげく停学。
この権威主義はやはりフランスというお国柄というように理解すべきなのだろう。見ていて息苦しくなる。かろうじて警察では暴力は受けないが、鑑別所ではやはり叩かれている。原題のようにまさに400回叩かれているのかもしれない。
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主人公12歳のドワネル(ジャン=ピエール・レオ)は一人っ子なのに、どうも母親が嫌っている。その理由はおしまいの方で明かされる。望まれない子であったのだ。堕ろそうとしたが、祖母が反対してくれたとのこと。それはひどいと思うのだが、母親の現実も致し方のないものがあったのだろう。
そしてもう一つ、夫婦関係もイマイチだと思っていたが、どうやら母親はその生活のために、その夫となる男性に連れ子で結婚してもらったわけだ。だから夫を取り、息子を捨てるということに。母性愛がどんな母親にもあるのだと思われているが、そうでもないということだ。
ラストシーンは、サッカー中、グランドから逃げだし、もうそれ以上は行きようのない海岸の波の立つところに行き着いたドワネルが、カメラを振り返って、カメラ目線のアップのストップモーションで「どうすればいいの?」と観客に問いかけている。悲痛である。
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あと印象的なシーンをあげると。まず、夜明け前であろうか配達された牛乳を盗み飲みするところ。日本の牛乳瓶よりもかなり大きいのを何回かに分けて飲み干す。罪悪感は感じられない。単に空腹のなせるわざか。
学校をさぼってあちこち行くなかで「遊戯場の回転車」に乗るシーン。グルグルと周りが回るように見えて、そのスピードがどんどん速くなっていく。彼の思いの比喩であろうか。どうしても逃れられない運命。その中でうごめく自分自身、といったことを。それが終わり、止まると、平然と出てくる彼ではあったが。
痛ましいシーンの一つに、母親が言葉優しく今度の作文の成績で五番以内に入ったら、1000フランあげる、と。親がよくやるやり方なのではあるが、彼の場合には特に痛ましく思われた。そのための「体験」ということでか、バルザックの写真が壁に貼り付けてあるところでロウソクに火をつける。まもなくそれが燃え上がり、一悶着となる。
その一騒動のあと、彼ら親子三人は映画に行き、ひとときの幸福な時間を過ごす。もちろんそれはドワネルにとってであり、彼の親たちがどう感じていたか、心の奥底は分からない。
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なおオープニングは、パリの町。それも常にエッフェル塔が映し出されていた。トリュフォーが好きだったそうだが、それにしても何か象徴的である。孤独と母親の愛情への希求とか。