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【こんな映画でした】241.[旅路の果て]

2020年 9月12日 (土曜) [旅路の果て](1939年 LA FIN DU JOUR END OF THE DAY フランス 100分)

 ジュリアン・デュヴィヴィエ監督作品、4本目。男性二人が主役級で、一人はマルニー役のヴィクトル・フランサン。いま一人はサンクレール役のルイ・ジューヴェ。誘惑される17歳の女の子はマドレーヌ・オズレー(撮影当時20歳)。

 そしていま一人、狂言回し役のカブリサードにミシェル・シモン(撮影当時44歳)。この人はやはり脇役ということになるか。出番は多いのだが。役柄としては永遠の「代役」であったということ。ついに出番が、という時にセリフを忘れて立ち往生してしまう。代役、つまり本番に出たことのない者の辛いところだ。そしてショックで死んでしまうことに。

 邦題が見事。しかし人生の旅路のその果ては、なかなかシビアなものがある。舞台は引退した俳優たちばかりが集まっている老人ホームなのだ。それぞれがある意味、いまだに過去の栄光の中に生きている。もはやその栄光が、どんなものであったかの記憶も危ういのに、それにひたすら縋って生きていくしかない。本当に人間というのは、厄介なものだ。

 そんな中でも正常な感覚でいられる人間と、もはや病的に陥っている人間とが描かれる。主要な三人は残念ながら、それぞれの事情があるにせよ後者である。ほとんどセリフもない無名ともいえるその他大勢の老人たちは、もしかしたら過去の栄光とは無縁に、穏やかに生きられているのかもしれない。それは他人には分からないことだ。

 それにしても身につまされる映画である。人生というものを旅になぞらえて、その終わりは斯くの如くある、というところか。

 お終いの方で、サンクレールがマルニーにいうセリフが印象的であった。「君は役を演じ、私は役を生きた。役者の感性は私生活で鍛えた」。カブリサードへの弔辞でマルニーは、「自らを高めなければ、偉業は果たせない」、と。これは誰にでも、何についてでも言えることだ。

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