見出し画像

あのマスターのように

僕はずっと居場所が欲しかった。
友人や兄弟、noteでの交流がある方々はもちろん苦しいときに力を貸してくれた。だが、彼ら彼女らにも人生がある。こちらが辛くて心に抱えきれなくなったときに、好き勝手に話を聞いてもらうなんてことはできないし、してはいけない。特に自分が抱えがちな苦しみは無への恐怖や過去のトラウマのフラッシュバックなどの「ややこしい」ものだ。聞く側の体力を削ってしまう。だから、自分が望むときにいつでも「安心できる」と思える場所に居られるで「怖いこと」に意識が向かないようにしたかった。

僕が仙台で人生のどん底だったとき、居場所になってくれたのは国分町になるあるバーだった。
最初は「カクテルがものすごく美味しいオーセンティックバー」という紹介を受けて伺った。
噂通りの切れ味あるカクテルの大ファンになった僕は、東京のバーと比べてお値段が優しいこともあって月2回ほどの頻度で足を運んでいた。

白髪交じるオールバックヘアにダンディな口ひげを蓄えたマスターは最初の訪問の際に「近くにお住まいですか?」と声をかけてくれた。研究のために最近市内に引っ越してきたばかりだと話すと、興味を持って話を深堀りをしてくれた。
しかし、研究に求められる学術知識も心の健康も、他者に負の身の上話を控える礼儀も持ち合わせていなかった僕は、「何もかもが上手く行っていない。こうやって美味しいお酒を飲んで目をそらすことで心の痛みが和らぐ」と話した。
すると、マスターはご自身の人生の話をしてくれた。もともと志していた事があったが、周りの優秀さに圧倒され現実に目を向けられずに大きな挫折をしたと。

「ありきたりな話ですが、人生は長いです。きしもとさんが美味しいと褒めてくださっているそのカクテルも僕の挫折の先に生まれたものです。夢も憧れも1つじゃないので、きっとまた見つかりますし、もしかしたらもう持っていて気づいていないだけかもしれませんね。」

マスターは自分の失敗談を、おちゃめな笑顔で淡々と楽しそうに話していたが、その挫折の渦中の彼の心情は察するに余った。
マスターの言葉はとても暖かく、強張りきった心がほどけていくのが自分でもわかった。

僕は温もりが欲しくなるとそのバーに足を運んだ。
いろんなお酒の知識を教えてくれたり味見させてくれたりした。
親友が二人仙台に来ると話すと、普段予約なんて受けないのに僕達のために席を取っておいてくれた。
僕に会いに来てくれた親友の一人がウイスキーが大好きで、高いウィスキーをたくさん頼んだ。僕は会計が怖くなったが、渡された伝票は学生にも払えるものだった。
「あれ、安すぎませんか?JRの学割じゃないんですから」
と僕が冗談混じりに確認をすると、マスターはおちゃめな顔でウィンクをしていた。アイドルが画面の向こうでするものより威力があった。
(ただ、ウィンクをしただけなので、本当に贔屓があったというわけではないです)

僕に会いに来てくれた友人はもれなくそのバーに連れて行った。大学でも寮の部屋でもなく、そのバーが僕の居場所だったから。

マスターをはじめ、多くの人に支えられ、迷惑をかけながらも卒業をして仙台を離れる時が来た。
僕は別れというものが苦手で、マスターには事前に伝えていなかった。
「TanquerayのNo.10も良いですけど、オーソドックスなカクテルを作るなら普通ので十分ですよ。オーソドックスなカクテルは僕達の腕の見せどころなのに、そこで良すぎるお酒を使ってしまうと逆にもったいない。」
というマスターのこだわりに沿って、道中で酒屋に寄って普通のTanquerayを買って手土産にした。ラッピングも新聞紙の衝撃吸収包装もない、ビニール袋に直入れのなんとも味気ないものだった。

「これどうぞ。キレキレのマティーニにしてあげてください。」
「え、どうしたの」
「実は仙台から出るので、ここに来るのは今日が最後になります。明後日には引っ越しなので。」
「なんで内緒にしてたの」

いつもダンディでおちゃめなマスターの顔が悲しそうにクシャッとしていた。

「じゃあ今日は一杯ごちそうさせて」
「いつもたくさん良くしていただいているので大丈夫ですよ」
「いや、僕の気が済まないからね。年寄りからのお願いを聞くと思って」
「でしたら、十八番のGreen Alaskaお願いできますか?」
「まかせて」

もしかしたら僕はマスターにとって「めんどくさい重い客」ではなかったのだろうか?

その夜、2年弱の付き合いになるマスターと連絡先を交換した。
去り際、お店のある2階の階段踊り場から顔を出して何度も「体には気をつけて。いつでも来て良いから。」と送り出してくれた。

そのマスターの訃報を数日前に知った。
何時間も泣き続けた。まぶたをナメクジのように泣き腫らしながらひたすらに外を走った。
薄いTシャツを突き抜けて来る冬の寒さで、冷え切った仙台時代に自分の心を温めてくれたマスターの笑顔、言葉、カクテルを思い出してより泣いた。
マスターの優しい言葉と深い懐、こだわりが詰まった職人魂あふれるカクテルが人生のどん底にいた僕を救ってくれた。

仙台を出てからは1度も仙台に行っていない。LineやXで時候の挨拶や雑談はしていたが会っていなかった。一番つらい時期を過ごしたトラウマの街に自分から飛び込む勇気がなかったからだ。
大きな不義理をしてしまったと強く後悔している。

もし勇気を出して会いに行っていたら、マスターは喜んでくれただろうか?
もし勇気を出して会いに行っていたら、マスターは「もう社会人だからね」と昔よりも高い伝票を渡してくれただろうか?

マスターに果たせなかった義理を、僕はこれからどう果たそうか考えた。

まずは、マスターが引き上げてくれたこの人生を幸せに過ごすそう。
そして、マスターが気にかけてくれたように人生の後輩に愛情を注ごう。

LE BAR KAWAGOE 川越正人さん、あなたは僕の恩人です。
ありがとうございました。
お疲れ様でした。
安らかにお休みください。



いいなと思ったら応援しよう!

きしもと
頂いたお金は美味しいカクテルに使います。美味しいカクテルを飲んで、また言葉を書きます。