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年間第33主日(A)年の説教

マタイ25章14~30節

◆ 説教の本文

「恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。」

〇 この喩え話のタラントンという言葉は、芸能用語の「タレント」の語源となっていることはよく知られています。タレントは「テレビ・タレントの〇〇さん」 のように職業の名前という感じがしますが、才能という意味です。

神様から才能を与えられた人は、それを積極的に使う義務があると、この喩え話は教えています。これをわざわざ言う必要があるのは、才能を使って打って出ることにはリスクがあるからです。失敗することのリスクです。何をしても失敗のリスクはあるものですが、今まで人のしなかったことをした場合は目立ちます。そして、その人が才能のある人の場合は更に目立ちます。その結果、失敗するとボロクソに叩かれやすい。日本はそれが顕著です。

1995年に、近鉄バッファローズで既に十分な実績のあった野茂英雄が渡米して、大リーグに挑戦しました。その時は、結果が出る前からボロクソに言われました。彼が挫折するのを楽しみにしてるような人さえいました。
大谷翔平が二刀流で大リーグに挑戦した時も「 思い上がっている」と悪く言う人はいましたが、野茂の時ほどではありませんでした。
結果的に野茂は成功して、彼が道を切り開いたので、現在の大リーグに挑戦することは普通になりました。失敗しても「 あいつはダメだったか」で済むでしょう。

野茂英雄は自分の冒険をしたかっただけではないような気がします。日本の野球選手が大リーグも視野に入れて、伸び伸びと自分の野球人生を送れるように道を切り開きたいと思ったのではないでしょうか。
野球というスポーツも「神の国」と無関係ではありません。彼のしたことは野球の世界を越えて、日本人の生き方に影響を与えました。いわゆるロールモデルです。「 忠実な良い僕だ。よくやった」と神様に褒められるのではないかと思います。

〇 日本は特に人の口のうるさいところで、チャレンジしたい人が萎縮しやすい社会だと思います。しかし、聖書にこの喩え話が載っているということは、才能のある人が自分から打って出ることは、どこの社会でも容易でないことを示しています。教会でも、与えられた場所で忠実に働く人、ハードワーク をする人はいても、「神の国」のために新しい分野に打って出ようとする人は少ないように思います。

〇 以前はエネルギッシュな外国人宣教師たちがまだ元気だったので、それが目立たなかったのですが、彼らが 一人また一人と去って行くとその欠落が目立ちます。
著しい例は、宣教スナック「エポペ」を運営したネラン神父です。神父がスナックを経営することには多くの批判もあったのですが、彼はそれを押し切って実行しました。実現するための努力も大変なものですが、そういうことを考えついたということ自体がえらい。
しかし、欧米人と日本人のメンタリティの違いにしてしまってはいけないと思います。起業家(entrepreneur)精神というものはそれを発揮していくと、 芋づる式にたくましくなっていくという性格を持っています。
ある起業家が言っていましたが、「 どんどんいろんなことを発想してやっていくと、滝に打たれるのが心地よいように、打たれ強くなる」。つまり、失敗すること、批判されることがあまり気にならなくなるのです。
私自身がやってみたのは出版だけですが、最初の1冊は勇気が必要でした。
私の出版したものはエッセイ風、あるいは経験談ではなく、神学的な内容です。「アカデミックなキャリアもないくせに、偉そうにこんな本を出しやがって」 と冷笑されそうな気がしていました。
しかし、思い切ってそれを出版すると、次から次に本のアイディアが出てきました(17冊出しました)。まったく売れなかったものもありますが、「 ううん、今度はダメだったか。まあ、しようがない」とあまり気になりません。

「持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。」

この言葉は出版にチャレンジした私の実感に即しています。「持っている人」というのは財産を多く持っている人という意味ではなく、「起業家精神を持って実行する人」ということだと思います。

〇 自分はいささか才能があるのではないかと思う分野で、小さく打って出るところから始めると良いと思います。自分にある種の才能があると認めることは、キリスト者にとって案外難しいことです。傲慢になっているかもしれないと思うし、人の目には滑稽に見えるのではないかと恐れます。
しかし、 キリスト者は真実に生きるものです。才能と言っても、大したものではないでしょう。経済学で言う比較優位で、大抵の人に比べればマシという程度でも「才能」です。

自分には(ちょっとした)才能があることを率直に認め、それを使う場を広げていけば、次第に大きなことを発想することができるかもしれません。そして、大胆に取り組むことができるようになるのではないかと思います。

第一朗読の箴言は、身近なところで 起業家精神を発揮する女性について述べています。

「羊毛と亜麻を求め、手ずから望み通りのものを仕立てる。手に糸車を伸べ、手のひらに錘を操る。」