羅冠聡(ネイサン・ロー)著『フリーダム』の要約的な抜粋
初めに言っておくと、この本はまだ発売されていません。しかし僕が翻訳して出版する本なので内容を知っているのです。昨日、製本された見本が届きました。
中央の黄色は、香港の民主化運動のシンボルである雨傘です。白と黒の縞々は横断歩道です。しかしそうした日常的な街の風景が、自由を抑圧する鉄の檻へと変わってしまう様子を、表紙のイラストは表現しようとしています。香港という都市が、巨大な監獄へと変貌してしまうということです。
メインの著者である羅冠聡(ネイサン・ロー)さんは、周庭(アグネス・チョウ)さんや黄之鋒(ジョシュア・ウォン)さんの仲間です。一緒につくった香港衆志(デモシスト)という政党では、年長の羅冠聡さんが党首を務め、選挙に立候補しました。
現在、黄之鋒さんは牢屋の中にいます。周庭さんは模範囚として刑期が短縮され出所していますが、政府の脅しによって口を塞がれ何も発言できない状態です。彼女はパスポートを取り上げられているため日本に来ることもできません。羅冠聡さんだけが際どいタイミングで香港を脱出し亡命することができたため、自由に本を書いて出版することができたのです。『フリーダム』はそうして書かれた本です。
抜粋によって本の内容を要約するなどということは暴挙に等しいと思うのですが、多くの人にとって、本を買って全体を読むのは大変なことだと思うのであえて試みています。オンライン書店の書籍紹介ページや、季節社のウェブサイトでも同じ試みをしていますが、文字数制限や、後続の文章との接続のために、それぞれ微妙に抜粋内容が異なります。ここに書くのは両者を繋ぎ合わせた、いわば「完全版」です。
この本によって、ここ数年で僕の愛する香港に何が起きたのか伝えたい。これは僕にとって、中国共産党が忘却させようとしているものを記憶するための闘いである。同時にこの本の中で、自由が至るところで脅かされていることを示し、手遅れになる前に自分たちの自由を守るにはどうすればよいのかということについても書き記しておきたい。
香港は、世界で最も厳しく抑圧されている都市ではないかもしれないが、豊かで自由で開かれた活気ある社会が、いかにして蝕まれるのかを示す先例として特に重要である。香港は自由世界にとって、炭鉱のカナリアなのだ。
「香港に自由を(Free Hong Kong)」と口にすることは今や重大な刑事犯罪なのだ。
驚異的な経済成長の軌跡に伴って、中国の傲慢さが増していくのを僕たちは目撃した。より善い中国を望み、積極的に関与すればもっと融和的な体制になると期待していた人たちは、それが間違いであったことを受け入れる必要がある。中国が超国家主義的な全体主義国家になりつつあるということ、もしかすると既にそうなっているということを、僕たちは認めなくてはいけない。
同じ理想を共有する民主主義諸国が協調しなければ、中国は、その国家規模をもって個々の国に狙いを定め、自国の衛星軌道に乗せることができる。……僕たちには、同盟国や友人たちと肩を並べて立ち、友人への攻撃は僕たち全員への攻撃だと見なす道徳的責任がある。強硬的かつ、明確な対象を持った集団行動をためらってはいけない。
「政治に関わりさえしなければ何も問題ない。いままで通りで大丈夫」と主張する人は大勢いる。香港でビジネスや投資に関わる人の多くは、こういうセリフを言いたがる。だが、政治に関わらずにいられるのは、自由社会の贅沢なのだ。中国共産党の下では、何が政治的で何が政治的でないかの境界線は一夜にして変わってしまう。このことは、中国で最も成功したビジネスリーダーの多くが、思い知らされている通りである。
国際的なブランドも標的にされている。……多くのブランドは、基本的人権を支持することと、中国に媚びることの間には道などないのだということを、まだ理解していない。……虚言の宣伝に喜んで協力しない企業は、中国で金を儲けるべきではないというのが北京の考えである。
僕たちは誠実に、建設的に、中国を批判するべきだ。
中国の人々に向けて真実を語ることだけが、「中国」の名の下に何が行われているのかを彼らに知らせる唯一の方法であると理解しなければならない。
僕たちはいよいよ過去から脱却し、人権を理由とする介入を、侵略行為や帝国主義としてではなく、被害者を守るための道徳的行動として捉えるべきなのだ。
本当に闘うに値するもののために闘っている人々は、政治ではなく、価値観を原動力としている。
多くの人はこの議論を、米中対立という地政学的なヘゲモニーの選択問題にすり替えてしまう。そういう捉え方をするのならば、どちらも拒否するのが道理だろう。しかし実際には、自由というのは、自分たちが何者であるか、そしてどんな人生を生きるのかということを規定しているのだ。それは地政学的な問題でもなければ、競合する超大国のどちらを選ぶかという問題でもない。それは僕らの尊厳の拠り所である諸価値のために立ち上がるということなのだ。
自由と民主主義の原則を信じるということは、真実の側に立つと決断することだ。
香港のように、その願いが打ち砕かれたとしてもなお、自由になりたいという想いは僕らの中で力強く燃え続ける──それが消えないのは、自由こそが、人間性の中心であるからだ。
僕がいま拘束されていないのは、亡命中であるからに過ぎない。僕がいない間に、監獄の壁は故郷の香港をぐるりと囲むまでに大きくなってしまった。表面的には普通の生活が続いているように見えるかもしれないが、ただ自己の良心に従って生きようとするだけで、あらゆる人に脅威がのしかかる。それでも、共に立ち上がる仲間たちがいる限り、約束された自由と権利を求めて同じスローガンを叫べる限り、たとえ彼らがいま世界のどこにいようとも、僕は立ち上がり叫ぶ。自由を求めて声を上げることは正しいことであり、それは僕らの権利なのだ。
序文と最終章からの抜粋が多く、全体の内容をまんべんなく要約しているわけではないということは言い添えておきます。
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