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最近生きててしんどいゼロリスク思考と「極論」に惑わされる時代について

ここしばらく仕事で書き上げた下書きの流用を公開してますが、書いてて気持ちが沈んでいく内容ばかりなので、文体が悪くなる箇所があればご容赦願いたいです。

数多くの人が「人体や暮らしの中の健康」について特別勉強するわけでもありませんし、学校でも習いません。しかし、それでも「これは安全です」という情報を教え広めていくことがどれだけ難しいことなのかは分かるはず。それを指し示すための根拠やデータというものが説得を続ける上でどうしても必要になるし、その取得内容を他の研究者や専門家たちに納得させるためにまとめ上げるには膨大な手続きと時間がかかる。
その一方で「否定する」というのはありとあらゆる物事において「どんな人間でも出来る行為」です。
「安全なもの」を主張するのと「安全に思えるものが実は危険」と訴えるコンテンツでは注目度が段違いで、この両者を並べて意見を聞くことが一見「どこがいけないの?」って思う人は、そもそも片方は何も背負うものが無いため責任を一切伴うことは無く、それを信じて否定側に立つ人が現れた時点で「決着する」という勝負の土台にすら立っていない「歪な力関係」に目を向けられていません。その無責任な力が今日にまで影響を広め続けていることに内心危惧しています。


亜硝酸ナトリウムという例について

危険というものを論じることについて多くの安全性を確認した論文を論破するだけの実験をして、その安全性をひっくりかえすようなデータをきちんと提出してまとめているという話はまず中々見ません。「根拠や事例があった」って話してる人が「論拠」としているのは、安全性試験の内容を曲解させたり意図的に資料解読の見方を言わないまま好きに喋ったことが解説など「語り手が誇張しているもの」つまり「語り手自身」によって成り立っています。

この語り手が好む話題の筆頭として紹介されている「亜硝酸ナトリウム」を例に話をしましょう。亜硝酸ナトリウムというのは「防腐剤」や「保存料」として表記される指定添加物です。毒性はたった2gで死に至る可能性があるまさに毒物です。
添加物が恐いといった類の本では、必ずといって良いほどこの化学物質が「発がん性有り」と書かれていて、絶対に摂ってはいけないと糾弾する論調が見られます。
たしかに亜硝酸ナトリウムは毒です。成人男性がたった2gで死に至る可能性があるものが添加物として使われている。こう聞くとそんなものを食べ物に入れるなよと思いますね。
さて、我々はどう捉えるべきなのでしょうか?

「答え」ではなく物事を読み解く「筋道」に目を向けること

まず最初に何故この添加物を使うのか、と言うことに目を向けて見ましょう。すると、何万分の一の確率で起きる「ボツリヌス中毒」を可能な限りゼロにするために使っている。これが用いられているハム・ソーセージの類は肉を粉々にしてそれを固めるものです。そこに外気などからボツリヌス菌が入り込むと、これはかなりの確率で人を死に至らしめるボツリヌス中毒が起きます。亜硝酸ナトリウムの使用を無くすということは、商品の生産から出荷するにあたって「人が死ぬかもしれない可能性が万が一でも生じるぞ?」という状態が生まれるわけです。ここから安全性試験により、食品添加物の「安全な量」が判定されます。

往々にして「何かを毒物」として悪者にして叩いている光景には、
この「量」の概念等が欠落していることが多々あります。

そもそも最大容量で亜硝酸ナトリウムを使っているハムやソーセージがまずあまり売っていません。その危険があったとしてもより安全な別の添加物に代替され、その上で安全性を確保するために必要な量を使っているため、実際は市販のソーセージを袋一杯食べてもこの量には届かないようになっています。万一超えてしまったら終わりだと思ってしまうかもしれませんが、それも問題ありません。ADIという安全値を考えた「基準」というのは「生涯・毎日」を前提としているものだからです。

「ADI」に対する正しい理解の欠如

亜硝酸ナトリウムのAcceptable Daily intake (ADI:生涯にわたって毎日摂取し続けても影響が出ないと考えられる一日当たりの量)「0.07mg/kg体重/日」となっています。つまり0.07mgの体重倍なら、毎日、口に入れても問題ありませんという量です。
○○kg食べるとADIに達してしまうので「危険だ危ない! 亜硝酸ナトリウムは身体を蝕む!」と書いてあったり主張する人がよくいます。一見正しそうに見えますが「よく簡略化して言われている『一日の限界摂取量』ではない」ので十中八九ミスリードですが誤っています。
ADIは数日間の摂取でもADIの倍や10倍いったところで影響が出ると考えられないレベルで「安全域を設定」しており、要するに毎日毎日飽きずに摂取し続けない限りは問題ありません。というか、塩や油で身体を壊す方が順番として先です。

錯誤によるすり替え

「亜硝酸塩が食中毒を防止する能力が高い」というのは「岩塩を使って塩漬けをつくると発色が良く、食中毒が起こりにくい」という先人の知恵を科学にした結果だからです。岩塩には「硝酸ナトリウム」が目に見える分量で含まれています。これを何とかできないかとボツリヌス菌を抑える働きがあることが研究の結果分かったからこそ、硝酸ナトリウムより安全で効果の高い「亜硝酸ナトリウム」を使うようになったわけです。で、こう言っていたら今度は「岩塩が危険だ」って人が現れそうなわけですが、食品関係に限らず、医療やら科学全般に言えることで繰り返しているように、
有害な量の調査に重点を置いているこの「最高量による悪影響」を「毒性」にすり替えながら危機感を煽られているケースが非常に多いです。

今回は添加物が「毒物」と呼ばれたものとしてADIという「一定量を超えた場合の毒性」の定義や意味も分かってない人向けに塗り替えられた話になっていることを少し紹介しただけです。まず意識しなければならない前提として添加物には理由があります。「理由を突き止める思考」が抜け落ちると「よくわからない得体の知れないもの」という認識になるので非常に大切なところです。ちゃんと冷静に自分自身で考えて判断すれば、危険についての話の論点が「善か悪」と化して物事に対する正しいアプローチに至っていない、おかしいことに気付くはずなのです。

安全基準というものは世界中の研究機関が連携した上で、各機関が取り纏めて安全性を再確認し続けるといったもの。添加物の毒性が本当であれば先進国ほど寿命が縮んでいる。数十年前からコンビニの食事をよく買っている人からバタバタと死んでいる筈です。
食品の損傷を防ぐためにより安全で改良や代替できるものに置き換えるなど科学は常に前に足を進めようとしている。食品添加物の使用は科学的なプロセスで研究された経験則に基づいており、添加物が安全であっても「製造側」が不必要な使い方をすることで「手抜き」や「品質偽装」的なことは出来てしまうという側面もまた事実です。
だからこそ、答えに飛び付こうとしないで客観的な科学的視点に持ち込んだものに触れて「ゼロ」から「己の無知」を認めて学んでいくことが大事なのです。
実験の妥当性や条件付けなど、適切に情報をまとめられるなら「結論」に持っていかれることに違和感を持ちながら自分で調べながら考えられるはず。

冷静に考えたら分かること

「毒性が出る」まで続けることで危険値を見るテストで「量」の観点のない「毒物とする」話など、拡散したり掲載しているメディアや知識人ですら「大丈夫か?」と心配してしまうレベルの事態も起きています。

「農薬」に関する話題もその一つであり、こちらは「ネオニコチノイド」などの危険を強調されて日本がその使用を許可していることに疑問を呈されており、EUでは無視されているからとその基準に対する懸念が生じています。

なら「禁じられたものを平気で使ってるじゃねぇか」ではなく
「ネオニコチノイドとは?そのルールの基準とは?そもそも農薬って何なんだ?」と自分の無知を認めて謙虚に「ゼロ」からアプローチしなければならないわけです。
ネオニコチノイド自体は殺虫剤の総称です。そして、先ほどのEUでは禁止されていると言っても、少なくとも世界100か国で使用および販売が許可されており「世界中で禁止されている」という事実はありません。加えてEU加盟国の中でも『ネオニコチノイド系農薬』に含まれる「アセタミプリド」や「フルピラジフロン」は使われており「『ネオニコチノイド』がEUで全面禁止されている」という言説は誤りです。

「農薬」を因数分解してみると

ネオニコチノイド系農薬にはそれぞれ作用機序が異なり、異なる効果を持っている。そして、EUでは農薬の使用は「予防原則」に基づいている。
彼らの安全性の基準はこの「予防原則」によって定められたもので、それを満たしていない成分物や使用を禁止しながらネオエコチノイド系農薬を選別して使い分けている。「危険だから禁止」しているわけではない。
じゃあ日本もそれに倣えよって皆様も感じるかと思われますが風土環境が違えば当然食文化も異なります。これらの要因から「生育環境の差異」も出てくるわけです。
それぞれの国で「農薬の使用基準が異なる理由」は、自分達の住む環境や食文化が外国諸国とどれほど違うか注目してみたら分かるはず。

さらに、そもそも日本が使う農薬とは?って原点回帰すると、殺虫剤や殺菌剤など外敵を殺す農薬、除草剤が90%以上を占めており、この中には作物を食い荒らす害虫を殺し、作物を守るものがある。それが虫を用いた「天敵農薬」というカテゴリです。
農薬についての知識がないほど「すべての農薬は農作物、人体、環境に悪影響を及ぼす人工的な毒」であるという認知に覆われがちですが、実際は農作物に発生する害虫や病気を駆除したり、雑草を除去したりするために使用されるモノ全般が「農薬」という名称を与えられている。

そしてここから農薬は「毒物、劇物、普通物」と分類されており、よく言われている「農薬は悪だ」って主張には避けては通れない「毒物」「劇物」「普通物」に何があるのかって問題になる。
「毒物相当」がフグの毒やらニコチンがそれにあたる一方「劇物」は唐辛子のカブサイシンやらカフェイン等といった日常で口にしている物も含まれてます。
そして「普通物」も食塩やエタノールといった言わずもがなです。

2019年には、生産された農薬のうち生産金額割合で88.2%が「普通物」 11.2%が「劇物」毒物は「0.6%」として分類されている。
普段食べられたり、料理に使われたりしているものが「農薬」として、化合物の構成文に含まれている形で使用されている。日本は丁寧にそういうものまで農薬のラインナップに含ませているのです。じゃあ外国はどうなのか?

それを知っているかどうかは別として「日本の農薬使用量は世界でも多い」というのが、どういう意味を指しているのか、そろそろ自分で整理してみると「このアバウト言葉の構成要素や違和感」に気付くはずです。

この毒物・劇物に該当する農薬も用法を適切に守れば農作物や環境、人体にも害が無いように設定されている。ジャガイモだって毒性の強い芽や緑の皮は食べられない部分とされていても、それ以外の部分にだって小なり影響はあるが、ADIをもとに設定された残留基準値を超えることはないように提供されている。「用法容量を守るように」というのは「農薬」も同様です。
使用料や回数、タイミングといった用途さえ間違わなければ安全だと確認にされているものにも「毒物・劇物」として分類されている。

水など日常的に飲んでいるそれも量が適切でないと健康上の問題を引き起こす可能性があります。上記の食品に添加する物質には厳しい安全基準があり、過剰に摂取すれば「命に危険が及ぶ可能性」について言及しなければなりません。
これは農薬に限らずあらゆるものも同様です。

人間にとって「大量摂取自体」が身体に悪いのであって、逆に限度を知っているなら安全は保たれるという話に過ぎず、100%の安心安全というのは「幻想」です。どんなものにも「用法容量」を守れなかったらそんな言葉は意味はなく、全く影響がないとは言い切れるものは現実にはない。

「ゼロリスク」思考の飛躍といいますか、何かしらの安全神話の影響をモロに受けて、やたら煽られて狙い撃ちされているテーマな気がしてならないですが、どういう業界の人間がこういうのを取り上げているか注目すると背景が見えてくるはずです。

「数字」や「悪者」に囚われて見えていない「差異」

日本には4,263種類の農薬が登録されているが、同じ有効成分でも、剤型、有効成分の含有量、取り扱い会社が違っていれば、それぞれ個別に登録を取得しなければなりません。つまり、この4,263件は「世の中の商品の種類数」と考えるものです。例えばポリオキシンは土壌で発見された農薬の有効成分の一種で、微生物によって生成される天然物質。これは次の3種類に分類されて農薬として「溶剤」「水和剤」と「乾燥フロアブル剤」がある。そうしてここから4つの有効登録件数、つまり商品登録数がある。

農薬は4,263種類以上というのも、さまざまな形や特徴のものが「登録された種類数」という意味合いであり、元となった有効成分は593種類に絞り込まれており、そのうち認められた593種類には「塩やてんとう虫」が含まれています。

「日本は農薬大国だ」と言う人がいますが「何をもってそういう話をしているのか?」一度立ち止まって自分で考えてみてください。
前提として、農薬の使用量は「栽培する作物や気候条件」等によって大きく異なります。果物など「病害虫に弱い作物」や狭い場所で密植する「野菜面積の比率」が高ければ面積当たりの使用量は上がる。
島国である日本では「果樹類」など農薬使用量が多い作物の栽培割合が高いですが、 土地が広い諸外国は「小麦・とうもろこし」のような農薬使用量が少ない作物の栽培割合が高い。
FAO(国連食糧農業機関)のデータベースを弄ってワースト3位と揶揄されたり持ち上げられてますが、病害虫被害が少ない「穀物面積比率が高い国の値が低くなる」この統計データで「国ごとの単位面積当たりの農薬使用量」を比較してモノ申すのは「論破フォーマット」故の思考停止です。
農業事情や食生活の違いや、日本という島国と諸外国では気候風土(高温多湿等)や害虫の種類が異なることも無論、そして規定によって用いられている「農薬の差異」も上述のように現実に適用して考えられていない。

物事を見るにあたって「区分」や「差異」というものが非常に重要なのです。

現実の細部や差異に目が行かないで他人に言われるがまま流されることは繰り返し言及していますが、マジで世の中が一元化やら善悪といった二元論の争いを求め過ぎてて、それを利用してるビジネスの台頭が多すぎて言葉を失うというか、もはや生きることがしんどいです。

身体に悪影響を与えるとか環境を汚して生態系に影響を与えるというイメージが拭えなくて不安を覚えるのは、人間の本能にあたる部分としてどうしようのない事ではありますが、そこを付け入れられて自分の思考ができないまま「安易な正解」を求めると見事に迷い込みます。

そもそも農薬も無料ではないので農薬散布の時間と労力を節約できるなら農薬を使いたい農家はいない。
もし何の得にもならない農薬を使用しろと言われたら、お金と時間を費やしてルールに従うという面倒なことは反感を抱きますが、農薬を使うことによる商品化に求められる規格や品質をクリアするなどメリットが大きいからこそお金と時間を費やしても農薬が必要です。前提として現代の農家は減り続けており、人々に届けられる前に商品になる物の「選別と加工」をしなければならない。農薬を使わない農業や作物の栽培という「より困難な仕事をひたすら他人に求めている」のであるのか知りませんが、依然として簡単な仕事ではないことや当事者の声に見向きもしないで偏った見方のまま物申すのはよろしくないというかマズイ。農薬の種類に応じて農薬の使用法や使用量が法律で定められているだけでなく、農薬取締法などの規制。禁止する法律は様々ある。農薬を勝手に使用できないようにする。使用方法や管理方法が不適切であれば、罰則の対象になる。農薬を勝手に使用できないようにするための一定の抑止力がある。
こういったものに少しでも目を向けて思考しながら理解してもらえれば嬉しいです。

「グリホサート問題」の認知の「作話」について

「『ラウンドアップ(グリホサート)』は多くの癌患者を引き起こしたとされる訴訟が米国全土で起こっており、1万件以上の訴訟で敗訴し、多額の賠償金を支払った」という話があります。
(バイオ化学メーカーのモンサント社は医薬品メーカーのバイエル社に買収されているのにやたら彼らはモンサントと口にするので、本記事では以降は「バイエル社」と呼び方を統一します)

2019年「ラウンドアップ」使用者でガン患者となったとされる人達から訴えられて、ラウンドアップ商品ラベルに「発がん性の恐れがあることを表示しなかった。その告知を怠った」という主張によって民事訴訟が引き起こってバイエル社が和解金を払う出来事がありました。

この件で起こりやすいよくある誤解が色々あるのですがまずは「発がん性の恐れがあるという表示の怠り」であって「ラウンドアップに発がん性があってそれを使用したから癌になったので賠償金を払え」ということではない。
ラウンドアップが発がん性があるかもしれないことを示唆していない「可能性を通知しなかった」ことが論点であって。発がん性がある商品を使用したから賠償金を払わなければならない、というわけではないのです。
アメリカ人は、製品の使用によって「リスクが生じる可能性」があるが消費者にはそれが隠されているというアメリカらしい文化から裁判所に訴えて、バイエル社はそれを受け入れて和解した。ここから原告を募集するテレビコマーシャルが急増し、バイエルの訴訟が続いて起きました。
アメリカ特有の訴訟ビジネスに巻き込まれて数万件以上の訴訟に発展し、大きな問題となっているのは状況として。日本では消費者金融のCMがある過払い金や、B型肝炎訴訟のCM。それに少し似ています。

アメリカは当たり屋のような裁判でも成立させられる国なのもあって
「バイエルが裁判で負けている(和解金を払っている)=ラウンドアップは発がん性がある危険が判明した」という、短絡的な結び付きが世間で唱えられるようになりました。世界中の研究者と反対の見解を示した「国際がん研究機関」がグリホサートを指定していた発がん性リスク分類の「グループ2A」には「赤身肉」や「シフト勤務」や「65℃以上の熱い飲み物」等の分類です。
そもそも現代に至るまでの「発がん性リストに記載されている危険」というのも、この次元の話でそれすらも誤りだったというオチでした。

ここから「ラウンドアップの有効成分であるグリホサートはヤバいのだ」って槍玉に挙げられる言説について、ベトナム戦争で作戦上使用された「農薬(枯葉剤)」として数えられていることがあります。
しかしこれは、グリホサートではなく正確には「エージェントオレンジ」です。エージェントオレンジに含まれる「ダイオキシンは枯葉剤の成分」であり、グリホサートは「枯葉剤の製造過程の『副産物』」として生成されました。
当然、ラウンドアップにダイオキシンは含まれていないし枯葉剤ではなく除草剤なので「ベトナム戦争でグリホサートが使われた」というのは誤解あるいは「曲解によってもたらされた意図的なデマ」です。

ラウンドアップ(グリホサート)は使用用途として農業以外の禁止のために用いてない国もありますが、これは化学農薬全般に対する処置であるものに過ぎず、グリホサートに限定された話ではありません。現在では、世界150か国以上で承認されており、カリフォルニア州などでは販売される製品に発がん性物質としてラベルを貼ることを義務付けられていたのは事実です。
そして「発がん性物質の存在が見当たらなかったために商品展示が禁止された」ことがあったという話であり、これらがミスリードを誘う主張に用いられるようになりましたが、アメリカでも今は普通に承認されてます。
これも「区分」「差異」というものに見向きされないことで生まれる「認知の作話」です。

こういった物事の推移からの誤解は中途半端に日本に共有されていたようで2022年には「アメリカでは使用できないグリホサートが日本では許可されている」というデマでしかない言説を選挙で用いた神谷宗幣と元農水省の鈴木宣弘とかいろんな連中がこれでYoutubeで触れ回ったり支持者獲得に至っている。
東大出の農水省出身者が誤解や早とちりして同じ結論に飛び付いている皮肉だと言いたいですが、他の言説も並べてみると曲解が多い輩は、本人たちは分かっている上で支持(フォロワー)獲得に都合が良いから口にしているのだと思っていいです。

無思考に「正解」を求めるのは地獄の入口


「ハッキリしてないこと」を断言するのはこの手のインチキの常套句です。
私が「健康」やら安直な善悪に置き換えやすいテーマについて取り上げたがる輩をまったく信用していないのは「『分からないこと』を分かったような顔をして他人にひけらかしたい」という欲求や、善意に先走って間違った情報を取りこんでしまった人を狙い撃ちにし、自分たちの思想や利益・ビジネスに重ね合わせて都合よく利用している輩が絶えないからです。

「本物の人間」は言葉を選び、可能な限り自分の知っている範囲、確信に近づけそうな話に関して冷静に距離を取って、話をする人が多いと言えます。
世の中には未知のモノや分からない物事が満ちており、自分の言葉を証明したくても誰よりも反証して疑ってかかる「石橋を叩いて壊す」というのが「研究者」というものですからね。

「避けるべき食品添加物!」みたいな煽り文句を謳った怪しい動画が跋扈している一方で「何故市場に出せているのか」という理由にまでは詳細にまで踏み込んで説明していなかったりします。
そして大抵「騙している」やら「利権」といった「反権力」としての常套句で支持を集めている彼らですが、何かにつけてそう言っていれば奴等は嘘つきだからと「自分たちの発信」以外に耳を傾けない「無敵の人」が完成するという合理的なロジック故だとお気付きですか。
近年は資料の誤読や意図的な省略・改変や恣意的なデータの曲解に依拠して不安を煽る愛国ビジネス等はSNSマーケティング界隈で半マニュアル化しており、権威(フォロワー)を集めるのに好都合など手口が醜悪なものと化しています。Googleは似非科学など科学的根拠のない広告を排除する方針を発表して今後はよりこの辺が厳しくなっていくことでしょうが、これでGoogleは「悪」で、自分達が好き放題に吹聴できるTwitter/Xのイーロン・マスクは「善側」という、もはや分かりやすすぎる対立構造ストーリーに持ち込まれている「意図」や「背景」は口にするまでもありません。

日頃食べている食品やスイーツが安価で食べれるのも、安い食材が美味しいのも、すべては技術の積み重ねがあってのことです。
当たり前すぎて忘却の彼方にありますが、科学は私たちの日々の暮らしに貢献してきました。
その築いてきた礎を無視してビジネスマンたちは「買ってはいけない」「食べてはいけない」とさも正義の味方のような面で吹聴して、それを受け止めた人が同じ言葉をコピペして周囲から承認されようとする。
「今日はこれだけ覚えて帰ってくれ」という日本の学校教育の完全敗北です。

発がん性を煽った「○○の危険性は以前から指摘されていた」みたいな話が掲載されたSNSで拡散された話も、こぞって「○○の危険性がようやく認められた」「こうした毒素から身を守るには〜」こういった話題に挙げられる肝心の発がんリスクのリスト自体の蓋を開けば「シフト勤務」や「喫煙や飲酒」「日サロで日焼けする」と危険性は同レベルかそれ以下の次元の話というオチです。

酒タバコを嗜んだり徹夜のほうが発がん性高いと主張したところで、大騒ぎしてる人の元にはそうした一次情報は届きにくく、センセーショナルな話題のほうが勝ってしまいがちです。食品関係では「少量摂るだけで危険」というのは飛躍した暴論で、もし本当に危険で今「安全」と判断されている根拠となる実験データをひっくり返せるデータがあるなら、クソみたいなSNS自分語りやお気持ち本ではなく、きちんとまとめて反証を示し「多くの専門家が同じ取り組みをしながら査読を受けているはず」なのです。

彼らが持ってくるもっともらしい実験結果も実際は「安全性試験の結果」を持ってきているもので、私たちが見ない資料の「読み解き方を知らないまま適当な話を真に受けてる」だけ。
その背景を何も見ずに、解説という名の「受け売り言葉」や「数値」だけ取り上げてヒステリックに大騒ぎ。本質には何も迫れてません。
在りもしない事実に辿り着いたみたいに小出しでコンテンツを出し続けて、それを見ながらいつも贔屓にしてくれるお客様たちは、矛盾や曲解があっても「こいつらは自分で調べないし気付かないだろ」と根本的に舐められている。

世の中を利用し立ち回っている商人たちに、内心馬鹿にされながら「搾取」されている。それだけのことです。

世の中や人の不幸を餌にして悪者を探し求めながら「真相を知った」といきり立って「『分からないこと』を『分かっている自分』」という承認欲求やブランディングに目が眩んで短絡的に物事を決めつけながら誤った方向に突き進んで他人を支持するのは、まさに「彼らの思惑通り」なので本当に悲しくなるからやめてほしい。

過剰に騒ぎ立てる輩にとってはそれが商売のタネであること、
人の不安を煽って手中に収める訳ですから、どうか引っかからないように強い自分を持ってほしい。物事の真贋を見抜く気力が無いと「○○は悪」という言説に流されて長年の歴史や科学の努力を悪として貶めながら、本やネット上では様々な情報が流れているものを漁る。愚かな歴史の繰り返しです。

その結果として、他の意見には目を向けられないエコーチェンバーによって、特にそれが自分の耳に気持ちいい話であるほど、人は騙されてしまいます。耳当たりの良い言葉を鵜呑みにするあまり、その人を「善人」だと持ち上げてしまうなど見事なマーケティングに踊らされることになります。

何か物事に対して興味や疑問を持つのは良いことではありますが、偏った見方から情報の精査ができないまま雰囲気やデマに流されて何でもかんでも悪者に行き着いてしまうのは危ういサインで、誰かを真剣に想えるなら、まずデタラメな情報や都合の良い話にだけ耳を傾けて踊らされないことです。

本記事で語ってきたように「農薬=毒薬」やら「海外では禁止されているのに日本だけ云々」で二元論という単純化した世界観を見せているが、国内外で定義が異なるテーマの「管理規制制度の違いや環境や生態系・気候風土の差異、物事の背景を説明しない」ことで生じる認識不足や誤解曲解を利用したトリックです。口にしないと伝わらないと困るのであえて言いますが「公衆衛生」に関するテーマもまったく同様に都合の悪い話はあえて無視したり曲解して一元化して語って見せてるという全く同じ論理展開をしており、何をもってそんなことを言い出しているか細部や意図に一生気付けないと、彼らの掌のうえで一生踊らされることになります。
だから「勉強しろ」と昔『ドラゴン桜』とかで言ってたように、肩書や学歴に惑わされないで考える力を身に付けなきゃダメだぞって話です。

田中角栄曰く大切なのは学歴ではなく学問という先人の鼓舞を受け止め、「学問」に真摯に向上心を持っていきましょう。

https://www.maff.go.jp/j/seisan/sien/sizai/noyaku/attach/pdf/index-5.pdf


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