その扉は開かれた
夢を見た。
夢を見ていた。
長い、長い、夢を見ていた。
瞼を押し開ける彼女の脳裏、浮かんだ意識はただ、それだけ。
半ば強制的に瞬きをして、掛け布団を引き剥がす。静かに細く吹き込む風が身体にしみた。
思わずぶるりと震え、今日を始める記念すべき一言は。
「……また、やっちゃった」
寝起きで働かない頭を軽く振り、夜中ずっと開いていただろう窓を閉めるためにも起き上がる。明らかに、無用心極まりない。
微かに喉が痛い。夜風に吹かれながら、すやすやと眠りこんでいたせいだろう。
窓を開けたまま眠るのは、コレで何回目だった?
心当たりがありすぎて、彼女は小さく溜め息をついた。ついこの間も注意されたばかりなのに。
柔らかい綿のパジャマの皺を申し訳程度に伸ばす。肩甲骨の辺りまである真っすぐな髪も、現在はひどくくしゃくしゃだ。
家にはもう誰もいない、休日の朝——午前中など、とうにサヨナラ寸前だ——珍しくない状況に欠伸を一つして、涙で薄くぼやけた視界のままカレンダーを見つめる。
今日の日付には、赤く丸印が付けられていた。
そして、その上に同じく赤い、×印が。
予定が無に消えたことを如実に示す印は、未だ完全には覚醒し切れない彼女をじくりと嫌な気分にさせた。
——そういえば、どんな夢を見ていたっけ。
夢というものは大抵、思い出そうとした途端に記憶の網の目をすり抜けてゆく。
彼女の場合も例外ではなかった。朝食、いや昼食のシリアルを噛み砕きながら、諦めずにぼんやりと考えてみる。
どうせ時間はたっぷりあるのだ。ゆっくり考えて何も思い出せなくても、それはそれでまた、一興。
……とにかく、長かったことだけは覚えている。それこそ自分が物語でも読んでいるのかと錯覚を起こしそうなほど。
脳内で繰り広げられた光景は、理路整然としていたかまでは最早分かり得ないけれども、充分に現実感を持ち合わせていたのだ。
破壊された穀物の欠片を、ごくりと飲み込む。
再びスプーンに乗せて口元へ運び、音を立てて破壊する。
一連の動作を繰り返す。サクサクという小気味良いリズムに、ほんの少しだけ気分が高揚した。
予定がなくなって、外に出る必要もまたなくなったことが、ひどく残念に思える。
天気は昨日からの快晴。気温もちょうど快適。喉の調子も上向きだ。そして今は、まだ真昼。
自分を必要としている人が今のところいなくても、楽しまない手はない。
結論が、出た。
「行ってきまぁす」
返事は、勿論返らない。それでもぼそりと呟いてから出かけるのは、自分の帰ってくる場所を確認するための『儀式』にも似ていて。
玄関の扉を押し開ければ、鮮明で目に痛いほどの青空。
——眩、しい。
そう、感じたその、瞬間。
真夜中の長い夢が軽やかに、真昼の彼女の脳裏を走り抜けた。
扉の閉まる音が淑やかに響く。奇妙な気配に振り返っても、夢の残滓は留まることを知らない。
今日は、自分のための『自分』を見つけ出す旅に出よう。
夢の終わりを開けて、新しい今日の私に、『はじめまして』。
その扉は開かれた 終
再掲元:個人サイト(閉鎖済)2003/12/31