耳が痛いことを言われたとき。。【読書】幸せになる秘訣
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今、これを聞いています。
タイトルに共感。
何が耐えられて、何が耐えられないか。自分の体のセンサーを信頼する
これって、すごく大切。
幸せについての感覚を
とても丁寧に書かれていて、耳に心地よい文章です。
幸せになりたいのに、
どうしてもそれを感じられない。
いつもガッカリ。叶わないし、変わらない。
という人は、
答えを、知りたい、知りたい、と思ってるのに、
いざその答えを聞いたとき、
耳をふさぎながら、いやだ、もう聞きたくない、気分が悪くなる。
と言いがちです。
著者のばななさんは、
そういう人たちに向かって、それ言う。
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耳の痛い事実を言って、
嫌われるということを繰り返してきました。
自分に矢印が向きすぎて身動きできなくなってる人に
キツイことをあえて言う役目をしているんです
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彼女みたいな友達がいる人は、
幸せですよね。
だって彼女が言っているのは、
自分の価値観をどっかりと乗せた個人的な意見ではなく、
真実だから。
聞きたくないことは、スルーすればいい。
それを言う人を嫌ったり、
聞きたくないから言わないで。と言うならば、
やはり幸せから遠のいてしまう。
『聞きたくないから、言わないでください。
私の気分が滅入るから。気分が悪くなるから。
気分が落ちるから。
もう、その部分は放っておいてください』
と、自分の要求を言って
スッキリするのも大切ですが、
そのスッキリ感は、
スッキリした現実をもたらしてくれるのでしょうか。
【あなたのせいでいい気分になれません】
という意識があれば、
実は本当の意味でのスッキリにはならず、
人と場所を変えて
また同じことを聞くはめになる。
そのたびに耳をふさいで、
それを言わないでよと相手を責める。
相手を嫌う。相手にパワーを奪われる。
別に完璧でなくてもいいから
そのループから抜けしていくことが、
無条件の幸せにつながる近道であり、
エイブラハムが言ってることなんです。
何が耐えられて、何が耐えられないか。
自分の体のセンサーを信頼する
それをするのは自分側であって、
他人の行動を制限するのとは、
ちょっと違うということなんです。