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【予習】もし差別的な扱いを受けたら:NVC(非暴力コミュニケーション)的対処法

来週から半月ほど、ヨーロッパに出張します。
コロナウイルスに関連した入国拒否の可能性の情報収集をしていたら、こんなツイートを目にしました。

他にも、ヨーロッパでマスクをしていた日本人が殴られたり、子どもがいじめを受けたりするニュースもありました。

わたしはこれまでの人生で、「差別を受けた記憶はない」と認識しています。ただ、認識できていないだけで誰かから見たらミソジニー(女性蔑視)もあったかもしれない。ハラスメントもゼロとは言えない。もしかしたら、慣れという麻痺に陥っているかもしれない。そして自分にないからと言って、世界に差別がないことでは決してない。それでも、私自身が深い傷つきや悩みを抱えたことは、幸いにもありませんでした。

当事者になる日は、ある日突然やってくる

最近出かけたいくつかの国で、私はかならず「Chinese?」「你好!」と声をかけられています。その時は、観光客割合の差だとか、日本の存在感を感じないとか、反射的に中国語で返事したから勘違いさせたかなとか、そんなことを考えていました。

だから今回は、「わたしも差別的な扱いを受ける可能性がある」ということを初めて強く認識しています。

その時わたしはどうするのか。どうありたいのか。何が平和的解決か。もし「その時」がきたら、きっと頭が真っ白になるだろう。だからせめて、「その時、できればどうありたいか」を自分に問うてみることにしました。

NVCで差別に「対応」する

わたしは大学生の頃にESDを学び、そのスタンスで生きることを選択してきました(このストーリーはパラれるで丁寧に取材してもらってます)。だからできるなら「その体験を契機に、互いに平和な未来をつくるための対話ができたらベスト」だと考えます。

この場合にマッチしやすいスキルに「NVC:nonviolent communication(非暴力コミュニケーション)」があります。

NVCは「過酷な状況に置かれてもなお人間らしくあり続けるための言葉とコミュニケーションのスキル」。自分と他者の「感情」と「心の底からの訴え」を率直に言語化し、要求できる力を備えます。そのプロセスを、事態を想定しながら転用して考えてみます。たとえばツイートのように「Fu*k you, disease carrier!」と怒鳴られたら。長くなるので、自分と他者に対する対応を同じ項目に記載します。

①評価を加えず(自分/他者を)「観察」する

【自分】わたしは見ず知らずの人から、「病気持ち」だと声をかけられた。

【相手】相手は「アジア人」の風貌から判断し、「病気持ち」だと声をかけた。

②「感情」を見極め、表現する

【自分】差別を受けたと感じて、驚いたし悲しい。すぐに何を言えば良いか浮かばなかった自分に困惑している。もし言い返したときに何か起きたらどうしようという恐怖と緊張がある。何もしないほうがいいかもしれないという諦めと無力感がある。

【相手】対話しないとわからないけど、相手もウイルスを持っているのではないかという恐怖を感じていて、持っているかもしれないのに出歩いていることに対する怒りがあるのかもしれない。

③「必要としていること」を伝える

【自分】わたしはアジア人であるという理由で冷たい言葉をかけられることは悲しいし、泣き寝入りする自分に無力感を持つ。なぜなら私は、アジア人を誇りに思っているし、その誰もがアジア以外の国でも大切にされてほしいから。わたしは人種によらず、誰もが互いを大切にしあうことを求めている。

【相手】対話しないとわからないけど、相手も自分の身体や家族の健康を大切に思っていて、ウイルスをもらわないように気をつけて生活しているのかもしれない。自分たちの国民を守りたいという気持ちがあるのかもしれない。

④肯定的な言葉で、行動を促す「要求」を明確に具体的に表現する

【自分】わたしはただ「どこから来たの?」「体調はどう?」と聞いてほしい。日本での様子を伝えることもできるし、私が知っている最新情報を共有したり、あなたから聞いたりできるかもしれないから。

相手には、どんな要求があるだろう?

平和は「選択」できる

これはすべて「予習(想定)」です。実際はもっと複雑な感情とニーズがあるだろうし、どんなに想定してもこの通りにはできないでしょう。特に交差点のような場ですれ違いざまに言われたら、対話は困難です。できれば「その時」は来ないでほしいし、いい旅であってほしいし、今後も世界を信頼して生きていたいです。

更に言えば、私も先日銀座で中国語が聞こえてきたとき、反射的に声の出所を探しました。自分の反応に驚き、「今わたしは差別的ではなかったか」と、心の点検をしました。悪意がなくても、何かを守りたい気持ちは他者への刃にもなります。加害者と被害者の境い目の近さを、当事者として実感しました。人はいつでも、加害者にも被害者にもなる可能性を持っています。

戦争を起こすのも、平和を築くのも人間です。子どもたちに恥ずかしくない背中を見せているかと問い直しながら、安全に過ごしたい。自分の大切なものを守りたい。そして他者も大切にしたい。そのためには、自分の「感情」と「必要としていること」をはっきりと分別し、それを強要ではなく要望として伝える知性と技術が必要です。そして自分のことと同様に、相手にある「感情」と「必要としていること」を深く観察し、それを尋ね、共感とともに対話を重ねて共に道をつくります。

コミュニケーションはいつだって「想定通り」がむずかしいけど、むずかしいからこそ防災訓練のように、「差別が起きうる世界」を主体的にとらえて備えることはできます。あくまで対処法ですが、いま対立を抱えている人にも、まだ何も起きていない人にも、参考になれば嬉しいです。

*今回は、NVCのプロセスのみを抜き出しました。


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五島 希里|港屋 株式会社
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