父、上顎洞がんになる〜診断まで
いきなりですが、上顎洞と言う言葉を聞いたことありますか?私は父がそこのがんになるまで知りませんでした。ここのことを言うんだそうです。
↑がん検有明病院のサイトよりお借りました。
しばらくは、こんなところにがんができるとどんなことになるのか、を綴っていきます。
忘れもしません。1999年2月14日、父を誘って私の家族と夕食に出かけました。その席で父が言いました。
「蓄膿の手術を近々しようと思う」と。
以前から、蓄膿〜副鼻腔炎の症状があった父。このところ不快感が酷くなったので近くの大きなA病院を受診したところ、手術が必要と言われたそう。左右両方に症状があるので、片方ずつ手術をするとのことでした。
手術の日程も決まり、書類も手渡されて、記入をするばかりとなったところへ「渡し忘れた書類がある」と連絡が入ってんだそうです。
その書類を取りに行ったつもりだったのに、「よく調べたところ違う病気のようで、うちの病院では手術ができない。耳鼻咽喉科では有名なB病院を受診して欲しい。ここには日本で3本の指に入るいい先生がいる」と、紹介状を受け取って帰って来ました。
A病院は父の家からも私の家からも車で10〜15分、通いやすいです。しかし、紹介されたB病院は電車を乗り継いで2時間弱。場合によっては新幹線で行ってもいいかも、そんな距離の病院です。この距離が事の重大さを物語っていました。
父と2人、行きました。まだ小さかった私の子どもは夫の実家に預けたんだと思います。事前に予約してあったのですが、長い時間待ちました。最初は若い医師の診察でした。父だけが診察室に入り、やがて私が呼ばれました。
「悪性腫瘍ですね」
とてもあっさりと。そうなんだろうな、と思ってはいたのですが、動揺しました。
「命に別状はありませんか?」
「今のところはないですね」
動揺の余り口から出たドラマのセリフみたいな変な質問を恥ずかしく思いました。
その後、部長先生の診察がありました。父の前に初老夫婦が診察室に入って行きました。ものすごく長い時間、夫婦は出て来ませんでした。診察時間の長さも、事の重大さを物語っているだろうな、と感じました。
気づくと、私たち以外待っている患者はいず、待合室も薄暗くなって、やっと父の順番が来ました。
その時初めて正式な病名を知りました。
上顎洞がん
上顎洞なんて生まれて初めて聞く言葉でした。漢字を説明されて、はぁなるほど、と思ったくらいです。頬骨の奥の空間が上顎洞、そこにがんができているとのことでした。
がんが頬骨を押し上げているため、父の頬は腫れぼったい、涙腺も押されて涙が出やすくなっている、鼻腔も塞がれて鼻が詰まった感じになっている、父の不快な症状はがんよってもたらされていることを説明されました。
「大掛かりな手術になります。がんを摘出後、形成手術を行います。長い時間がかかります。でも、治る可能性はあります。頑張りましょう」
力強い医師の言葉が心に残っています。また、上顎洞がんを始めとする頭頸部がんは、わりと治りやすいがんであると言う話も聞きました。
もちろん、私たちの診察時間も長かったです。丁寧に説明しなければ受け入れることのできない手術、丁寧に説明しても術後の顔貌の変化を受け入れることができない手術であることはお陰でよく理解できました。
こうして父の上顎洞がんは始まりました。
*上顎洞がんは、副鼻腔炎と煙草が原因のようです。副鼻腔炎の人はすぐ禁煙したほうがいいですよ。
若い時の父、超塩顔です
煙草吸い始めなければ、違う人生だったかもね…
#上顎洞がん #頭頸部がん