父、上顎洞がんになる〜インプラント
*20年以上前の話です。父のような上顎の欠損している人に対しての治療も、もっと進んでいると思います。
病気の後は、体力回復のためにもしっかり栄養補給が大事!そのための取り組みの話です。
元々父の残ってる歯は少なく、上は入れ歯を使っていました。それが上顎が半分なくなってしまったので、入れ歯が入れられなくなりました。
そこで、インプラントです。入れ歯をひっかけるためのインプラントを入れる手術をすることになりました。この手術は手術をしたB病院ではできず、隣の市のC病院の口腔外科に転院することになりました。
その前に、B病院に入院しながらC病院の外来を受診せねばなりませんでした。片方の目しか見えなくなってしまった父が、駅の階段を上り下りしたり、バスの乗り降りをしたり、安全にできるよう注意が必要でした。もちろん付き添いました。このころは体力も回復、公共の交通機関を使っての移動はリハビリも兼ねていました。
正直なところ、このC病院の口腔外科については、余りいい記憶がありません。入院初日、ベットの空きがないとのことで、案内されたのがICUのベッド。自然光はほとんど入らず、医療機器に囲まれた自動ドアの先にあるベッド。意味がわかりませんでした。
そして、高額な医療費(今は父のような上顎欠損の場合、保険適応みたいですが、当時は違ったように覚えています)をかけたインプラントは、わりと短い期間で抜けてしまいました。
いろいろあったインプラントですが、この手術を最後に9か月に及んだ父の治療は終わりました。
そして、肝心なことを書き忘れていました。術前の放射線治療をした父ですが、抗がん剤をやったかどうか記憶にありません。説明を受けた記憶もないのでやってないのかな…昔のことで忘れてしまったのかな。
何年かして抜けてたしまったインプラントですが、父は家の近所で普通の入れ歯を作ってもらってそれで暮らしてました。え?それでいいの???って感じでした。
摘出手術については、すごい勢いでネット検索した私ですが、C病院に転院した頃には疲れてしまって全く調べもせず、
インプラントがお勧めです→はいはい、
インプラント抜けてしまった→あらあら、
みたいな感じだったんじゃないかと思います。
退院後の父は、大抵の物なら食べることができるようになってました。噛み切るのが難しい物は、予め包丁で一口大にしてから食べるなどで対応していました。
そもそも、父は食べることに一過言を持っていました。お正月には近くの肉屋の高級な牛肉ですき焼きを作るとか、うちの娘たちが今まで食べた物の中でおいしかった物としてあげるのが、父の作った竜田揚げだとか、料理も得意だったんです。
このおいしい物を食べたいと言うと気持ちが、入れ歯の不具合もものともせず、体力回復などに役に立ったのでは?と思ったりします。
人間、食べることができるかどうかで、病状がぐっと変わると言うことを知るのは、まだまど先の話です。