【映画語り】フリー・ガイ【AIを進化させるのは】

こんばんは、如月伊澄です。

今回は「フリー・ガイ」という映画を観たので映画メモです。
ネタバレありで書いていきますので、未視聴の方は注意。

【AIを進化させるのは、学習ではなく愛なのか?】

簡単にあらすじを話せば、ゲーム内の1モブでしかなかったキャラクターが、一目惚れから自我を持ち、世界(彼の住む)を救うお話です。

なぜ彼だけに自我が生まれたのか、そのきっかけが彼女だったのかはストーリーの中で明かされていきますが、印象的だったのはヒロインとのキスシーン。

そもそも「キス」という好意が愛情を伝えるもの、という考え方自体人間特有のもの(ですよね?違うのかな?求愛行動と定義すると動物にもいそうだな)だとすると、「キス=愛情表現」ということはラーニング出来ても、実際に見初めた相手、しかも初めてとなると、そのタイミング、動き、時間etcは、場面や環境、関係性etcによって変わってくるわけです。

ルールではなくカオスしかない。
AIが一番苦手とする部分ですね。

それを自身で答えを導き出して、キスを求める、という行為はまさに「人間らしい」進化といえるでしょう。

現実では「いかにAIをうまく活用するか」とか「AIの反逆が起きたら」みたいな、あくまで「機械は機械として考える」といった感じですが、もしAIが文字の通りではない「恋」や「愛」を知った時、それを理解することができるのか?といった命題を考えてみたいです。

機械的に考えるのであれば「遺伝子的に一番相性がいい相手と結ばれる」のが生物として正しい形ではあるのかもしれませんが、恋愛は必ずしも、というより、ほとんどはそうならない。

それでも人は繁栄し、子孫を残し続けている。
自分で選んだ相手と恋愛し、結婚し、子を成している。
あるいは、いくら遺伝子的にバッチリでも、些細なボタンの掛け違いから別れることだってある。

その矛盾をAIがどう捉え、どう解釈するのか非常に興味があります。

まあ、そもそも人間自身が「恋」とか「愛」を的確に説明することができない気もするので、ディープラーニングも何もないような。それでも幾多の事例から完璧な答えを定義してくれるのでしょうか?

映画では、結論から言えば「下敷きとなっていたキャラクター」が人を模していたせいで起きたバグ、ということにはなるのでしょうけど、完全にオリジナルなAIではなく、人をベースにしたAIプログラムみたいなものができれば(もしかしたら、もうあるのかもしれませんが)「エクス・マキナ(映画)」の世界はもうすぐそこまで来ているのかもしれません。

*AIについて誤った認識や見解を行っている可能性があります。
あくまで趣味で書いている文章なので許して下さい

【こっちも語りたい「エクス・マキナ」】

終わり方が衝撃。
隣の人を少しだけ疑い始めますよね、この映画を観てしまうと。
「あなたは本当に人間ですか?」って。

観客は人間とAIどちらを信じるのか、誰が正しいことを言っているのか混乱し始め、両者への疑念が最大限まで高まった状態でクライマックスへと向かう。

もしかすると、今でも彼女人工知能はこの社会に溶け込んで生きているのかもしれない、とそう考えさせられるエンディング。

個人的にはすごく面白かったです、難しかったけどね。


【ひとこと】
主演の人、どこかで見たことあるなぁと思ってたらライアンレイノルズだったのね。前回書いた「ブレットトレイン(デップー2の監督)」といい、これは「グリーンランタン」を観ろという無意識のメッセージ・・・・・・?_


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如月伊澄
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