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【映画記録】ナイトメア・アリー

2025年二本目の映画記録。
というか一本目と同じ日に観ました。
こういうのは勢い。



概要

タイトル:ナイトメア・アリー
原題:Nightmare Alley
原作:ナイトメア・アリー 悪夢小路/ウィリアム・リンゼイ・グレイシャム
公開日:2022年3月25日
鑑賞日:2025年1月5日
ジャンル:サスペンススリラー(映倫区分:G)
上映時間:150分
配給会社:ディズニー
製作国:アメリカ
監督:ギレルモ・デル・トロ
キャスト:ブラッドリー・クーパー、ケイト・ブランシェット、トニ・コレット

映画.com

あらすじ

鬼才ギレルモ・デル・トロ監督によるサスペンスに満ちたサイコスリラー。1940年代のニューヨークで、人を操るカーニバル出身の男(ブラッドリー・クーパー)が、同じく人の心を操る心理学博士(ケイト・ブランシェット)と手を組み、富裕層から金を騙し取る。原作はウィリアム・リンゼイ・グレシャムの小説。デル・トロ監督とキム・モーガンが共同脚本を務める。

Amazonプライムビデオ

鑑賞方法

Amazon prime video
(2025年2月7日現在 レンタルのみ)

感想

たまたま見かけて、なんだか『ダレン・シャン』みがあるな、と言うだけで見ることに。
昔から海外の移動サーカス(遊園地)ものにフラフラ引き寄せられる性質があるんですが、自分でも何きっかけなのかがもう思い出せません。
もしかして『ダレン・シャン』こそがきっかけ……?とも考えましたが、それより前に映像で出会っている気がするので違うかもしれません。
モチーフでもカルーセル🎠と紅白のテント🎪が好きなので、ビジュアル自体がもう好きなのかもしれない。そういうことにしておきましょう。

話としては簡潔に言うと、主人公であるスタンの栄枯盛衰の物語でした。
まあ良くあるよね、という展開ではあったんですが、映像美と話がよく練られていて私はめちゃくちゃ好きです。二度見るのはしんどいですが(私の見るものこんなんばっかり)

ストーリーはWikipediaに網羅されていたので観るのが大変、または字で理解したいという方にオススメです。
note書いてるのが日がだいぶ経ってからなので内容薄れて来てたんですけど、読んだ瞬間全部思い出せるぐらい鮮明でした。よく纏めたな、こんなん。

なので私は好きだった演出について残しておきます。がっつりネタバレではあるので、自己判断にてお読みください。

まずは一つ目。
物語の前半で、見世物小屋に流れついたスタンが『獣人(ギーク)』という出し物で、生きた鶏に齧り付く、獣じみた人を見物した後、その獣人が脱走→死亡してしまい、代わりをどうするのか聞くと、『死体を捨てがてら町でアルコール中毒者(以降:アル中)を拾ってきて、鶏に嚙り付かないと酒が飲めないように教育するんだ』と獣人の作り方を教えて貰うんです。
それが最後の最後、いろいろあってアル中になり浮浪者同然となったスタンが、仕事を求めて尋ねたサーカスで『君にしかできない仕事さ』と、いつかどこかで見た獣人にする手口を見せられて、自分の運命を悟ったように笑みを浮かべて「(獣人になる)そのために生まれてきたんだ」のようなセリフを言って終わるんですよね。

その、序盤の伏線をきっちり回収して、冗長に続けずにばつんと潔く終わるところがもう、もう大好きで!!!!
昔からこういう演出に弱いんですよね。
小説だと伊坂幸太郎の『オーデュボンの祈り』を読んだときかな。
最後の一文を読んだ瞬間にすべてが腑に落ちたように『理解』が出来て、ぶわっと鳥肌が立ったことがあって。
でもあの感動って初見でしか味わえないんですよ。
二回目はもう「くるぞ…」ってわかってしまっているので。
分かっていてなお楽しめる『天丼ネタ』の場合もありますけど、それでもやっぱり初回に比べるとインパクトは落ちてしまうんで、前情報なしの純粋な初見、大事です。
観る前にこれを読んでしまった人はご愁傷様です……が、前置きはちゃんとしてあるので、ご容赦くださいませ。

ついでに『獣人(ギーク)』って単語に耳なじみがなかったので調べたものを置いておきます。

【geek】
①〈俗・軽蔑的〉〔見かけが〕ださい[さえない]やつ、〔社会性の低い〕変わり者◆可算
②〔ある分野の〕マニア、おたく
③〈俗〉〔コンピューターやネットワークの〕専門家、プロ◆【対】non-geek
④〈古〉〔サーカスの〕ギーク◆生きているヘビやニワトリの首を食いちぎって見せる、ランクの低いパフォーマー(見せ物師)。

英辞郎

今回の意味は④のやつですね。
〈古〉という凡例は単に『昔使われてた』という認識でいいんでしょうか。時代設定が1940年頃なのでざっくり80年前ぐらい?
確かに日本語でももう使わない、使えない、使われなくなった表現というのは存在するので無くはないか…。
親が使ってたので「がちゃ目」とか「びっこ引く」とか私は使っちゃいますけど、これもきっと④のように淘汰された(されるべき)古の表現なんでしょうね。難しいな、言語。


二つ目の好きな演出は、前半の全体的に色味のない灰色の絵面をした移動式サーカスでの(表現としては悪いですがコントラストとしてあえて強めに言うと)底辺な雇われ生活から、一転してカジノのステージで働く豪華絢爛な絵面になるところです。
特にスタンの運命を変える女性、心理学者のリリス・リッター博士の職場は金ぴかで、いかにも権力の象徴!といった様相が分かりやすくていいですよね。大人しめのシンプル上品な洗礼された生まれながらの金持ち、じゃなくて金にがめつく成り上がって財を成した成金タイプの部屋って感じ。

先に述べたようにこの作品は栄枯盛衰の物語なので、最終的には凋落してまた灰色の住人になるスタンですが、独立して軌道に乗ったことで金を持ち始め、リッター博士との出会いによって調子に乗って高望みをした結果失敗するんだな…というのが、この中盤からガラッと変わる映像でよく分かるんですよね。
それがこの監督の色なのか、原作自体の色なのかは比較対象がないのでわかりませんが、途中で違う映画が始まったかと思うぐらい映像違うので、表現としてすごく面白いなと思いました。
こんなん、かけ離れればかけ離れるほど落ちた時を想像できていいですからね。ストーリー難しいな、わかんないな、となっても映像だけで何となく掴める。映像作品の強みです。

そういえば、リッター博士のように男を惑わす魔性の女のことを「ファムファタール」って言うんですよね。

それを踏まえた上で彼女の名前をもう一度見ると「リリス」・リッター……ということで、もう確実にスタンを翻弄して駄目にするの確定してました。もう最初からスタンを幸せにする気などないという気概を感じる。
(感想を書くために博士の名前を改めて見てから気付いたので、これに気付いた上でもう一度見るのは面白そうだと思っています。余談ですが、ウィキ埋め込むために『リリス』を調べてサキュバスじゃなかったんだ…ということも初めて知りました。学びが多い。)


最後三つめは、二つ目にも絡むんですが、はっきりした人物たちによる『わかりやすさ』とでも言いましょうか。
三十歳も超えてそこそこ人生経験を積んできた、というのもあると思いますが、パッと見ただけで分かるスタンという男の根っからのクズさ加減、リッター博士の自己顕示欲の強さ、あまり話題に挙げなかったですが、モリーの絶対に幸せになれないな感……などなど。
そんな感じで出てくる人物たちそれぞれが、物語におけるキャラクターとしてしっかり確立されていて、立ち位置、役割が見えやすかったんですよね。舞台を俯瞰から見ている気分とでも言いましょうか。
それとも幼いころから親しんだ『シンデレラ』や『白雪姫』のようなグリム童話を見ている気分?
まさに『キャラが立つ』登場人物ばかりなので、だからこそ話の展開が読めやすく、切れ味のいい面白さに繋がっているのかも。
それがすごく見ていて心地よかったんですよね。

せっかくなのでモリーの話をすると、彼女はスタンが最初に流れ着いた見世物小屋で『電気人間』の見世物をしていた女性です。
初めはモーションをかけられても断っていたのに、スタンの刷新的なアイディアや、見世物小屋を閉鎖しようと息巻いてきた保安官をうまく言いくるめて返した手際に納得して、彼と一緒に独立してしまうんですよね。
恋は盲目といいますが、はたから見ていれば『そんな男についていったら絶対後悔するからやめときな』と思ってしまうような男にほいほいとついて行って、案の定すぐ冷たくあしらわれている展開を見てしまうと、そら見たことかという感情しか浮かびませんでした。
『シャイン』でも同じようなこと言ってましたね。
みんな自分を一番大事にしてほしいよ……。

登場人物の中で私が惹かれたのはキンブル判事の奥さん、です。
中盤の独立したスタンが徐々に名声を得てきて、リッター博士から最初に紹介してもらった客がこのキンブル判事夫妻なんですけど、スタンが(インチキな)霊媒師である、という噂を聞いて「死んだ息子と話をさせてほしい」と依頼をしてくるんです。
スタンは見世物小屋で得た『コールド・リーディング』という、いわゆる観察眼とそれっぽいことを真実味を持たせて喋る話術を駆使して見事成功――するんですが、この成功が運命の歯車を狂わすきっかけにもなってくるわけなんですよ。

具体的には息子の言葉(らしきもの)を聞いてガンギマリになった奥さんが、夫を何のためらいもなく射殺した上で自分の頭も打ちぬいて死ぬという、射殺事件を起こすんです。
「いま会いに行くわね」と言って。
流れ的に息子への愛が募りすぎた犯行に思えるんですが、この奥さんは何日も、何度もじっくりとスタンの行った交霊術のことを思い返して、徐々に冷静になっていき、その結果、死んだ息子に会う手段なんかこの世にはないと理解してしまったがために夫と共にこの世を去ることを決意したんでしょう。
狂ったように見えて案外冷静に現実が見えているの、女って感じがする。
夫を巻き込んだのはどうかと思うけど。

こういう、なんて表現するのが適切か分からないんですけど、美しい狂気?が時々無性にぐっと刺さることがあるんですよ。
『ミッド・サマー』とか『エヴォリューション』とか『エコール』とか。

どの作品も思い出すたびに吐きそうになるし、指先から血の気が引いて震えるぐらいパンチがあってトラウマ気味なんですが、映像は、人間の醜い部分であるはずの感情は、めちゃくちゃ綺麗でただひたすらにしんどい、みたいな感じ。
書きながら『ヴィオレッタ』もそうだったな…と思い出しまして。

洋画が好きなのでラインナップが洋画ばかりなのはいいとしても、メンタルが元気じゃないと見れないような映画ばかり見てるのは何ででしょうね。
小説もそう。
面白そうと思ってジャケ買い(手に取る)のはサスペンスやミステリー、ホラーばっかり。苦手なのに。
いつか謎が解明できたらいいな、と思いながらまたその時の気分で好きに映画を見ようかなと思います。


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木更津 慧
いただいたサポートはパズル作ったり勉強したりする用の書籍代、または休憩用のおやつ代にさせていただきます('ω')ノ

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