知ること、感じること:点と点
知らないことを、知ること
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幡野トーク♯2
幡野広志さんと鈴木心さんのトークショーを聞きに彼と天王洲アイルへ。
2月に狩猟に同行させていただき、その後も幡野さんの発信する言葉や写真から目が離せず、よく二人で幡野さんの話になることもあり、遠慮しなくていいよというお言葉に甘えて、伺わせていただいたのでした。
幡野さんの言葉を、直接一緒に聞いて、これから一緒に暮らす彼と共有したかったのかもしれません。死生観、子育て、家族など。
私がなぜ幡野さんに惹きつけられるのか、その理由が確信できる濃密なトークショーでした。鈴木心さんとの軽やかなやりとりも、すごく気持ちよかった。
幡野さんは自らの足で話を聞きに行き、情報の源流に触れている。
自分の言葉に責任を持つことができるから説得力があり共感もできる。
世の中の闇(とあえて表現しますが)の部分に触れなくても幸せに暮らしていけるけれど、それでは済まない知性と良い意味の好奇心が幡野さんを動かすのだろうと思う。
無知の知という言葉をふと思い出した。
誰が唱えた考え方だったか覚えていなかったけど、調べたら哲学者ソクラテスだった。
「真の知に至る出発点は無知を自覚することにある」ということ。
…まぁこれもネットで検索したものですが笑 大学入学して最初の授業で、先生の講義を聞いてそれを絵にするという授業があり、講義の中でアウシュビッツ刑務所の残虐な過去のことを教えてくれた。その授業で無知の知という言葉を教えてくれたのだけど、それこそ無知だった私は、無知の「恥」だと思ってそれを絵にして提出したけど、今考えたらまぁそれも間違いとも限らないか。笑
当時のノートがすぐでてきた。1ページ目だ。
その後の授業でも、過激な内容について(ジェンダー論だったり、隔離されたハンセン病患者だったり、一番衝撃だったのが障がい者のマスターベーションの動画だった) 色々な世の中の光の当たらないことを教えてくれたように思う。
(ただ、刺激的な内容すぎて、先生の授業は賛否両論だった)
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話は戻って。
情報が行き交い、簡単に手に入る世の中で、知った気になっていることはたくさんある。ただ、簡単に情報を手に入れることは決して悪いことではない。
現代において辞書がスマホになりツールが変わっただけとおっしゃっていたのが印象的だった。それをわかった上で、ツールも使うし足も使う。その柔軟さがすごく素敵だと思う。
生きるとか死ぬとか、自然に対して感動するのは、自分が自然の外側にいるからなのではないかとか、そんなことを話していたら疲れてるの?とか大丈夫?って声をかけられる。
生きるとか死ぬとかってことは生き物であればどんな境遇であっても誰もが来るもので、人間が唯一話せる共通のトークテーマだ。そういった話は何故かタブーとされてるのか日常的に話すことはない、でも仕事の話をするより数百倍楽しいし、人の意見を聞くのも為になると思う。
そして、そんな話しが対等にできる相手こそが、私が大切にしなければならない人だと思っている。
どう死にたいか は どう生きていくかということに繋がる。
考えることは楽しい。
色々と考えるきっかけになっているこの出会いを大切にしたいと思っています。