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「二番煎じ感」が残念、せめて光沢が欲しかった「ゴースト・イン・ザ・シェル」
アニメ版「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」(1995)は好きなんですよ。でもその実写版「ゴースト・イン・ザ・シェル」(2017)は残念ながら残念だったわけです。作品自体というより、タイミングでしょうか。「あれと似てるよな」感。これが最後まで拭いきれなかった。
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それからスカーレット・ヨハンセン演じる主役ミラ・キリアン少佐(草薙素子)のコスチューム。ウレタンかよ的な。そこでひじがっくんだったわけで。
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始まって早々、薄暗い超高層ビル街に着物姿の女性のホログラムが映し出されるデジタルサイネージを見た瞬間、「ブレードランナー」(1982)が思い浮かんじゃうわけです。ビルからビルへと移動する少佐の勇姿に「マトリックス」(1999)が見えちゃうわけです。
「マトリックス」や「攻殻機動隊」にさえ大友克洋の「童夢」や「AKIRA」がよぎったわけで。何重にも文化の地層が重なっているのはやむを得ないにせよ、なんです。
意識の中にダイブするのも、「攻殻機動隊」の方が「マトリックス」より先なのはもちろん先なんで「マトリックス的」と見るのが筋違いだったら的外れだったりするというご指摘はごもっともはごもっとも。でも2025年(公開当時は見ておらず、PrimeVideoで見ました)時点で見ると、実写版「ゴースト・イン・ザ・シェル」は分が悪いと言わざるを得ないというか。
決定的だったのは少佐のコスチューム。こう、なんていうんでしょうね、フェティッシュじゃないというか、セクシーじゃないというか。
いや、もちろんあれですよ、少佐が本来セクシーである必要性も必然性もないわけですよ。男性から見た色気やエロやセクシーを押し付けるのはやめてくれって話ですよ。分かってます。が、しかしですね。何もウレタンを被せたマネキンみたいにするこたあないんじゃなかったのかと。
せめてスパンデックス的な光沢があって然るべきではなかったかと。そうすれば「シティハンター」には迫れたのではないかと。そもそもじゃあなんであんな大きなバストとヒップが必要だったのか、必然だったのかと逆に問い詰めたいわけだ。あん。捜査や潜入や銃撃の際に邪魔ではないのか。えん。
と、まあ文体が変わってしまうほどがっかりだったわけです。アニメ版「攻殻機動隊」だって士郎政宗の漫画版「攻殻機動隊」だって、わきまえてたわけです。必然性もなくセクシーだったじゃないですか。
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サイバーパンクがそもそも持っているハードボイルド感はたっぷり。次々と仲間が殺害され、復讐をかけて敵陣に殴り込み銃撃戦になる展開も本来は文句なし。ただ、異様に画面が暗くてせっかくのアクションが見づらいのは、アニメ版に忠実たらんとしたからだったんでしょうか。
もしかしたら見る側である筆者の問題かもしれません。でも、せめて光沢が欲しかった。