絶頂は1度でいい、ちょっと長すぎた「トップガン マーヴェリック」
「ちょっと長すぎ」
「面白かった」という感想の後に、こう付け足したくなった映画としては、「ダークナイト」と双璧かも。
映画「トップガン マーヴェリック」。物語は50代の中年おやぢの心を鷲掴みですよ。全盛期を過ぎた空軍パイロットが、現場から離れず後継に自らの知恵や技を継承させる。あきらめず現役として継続する、言うなれば三浦知良的生き方を貫く者の尊厳を描いているわけで。
天才という強者を主役に据えながら、老たる者、衰えし人という弱者の立ち位置を与えて見る者の共感を得る手法としては、ケビン・コスナーが全盛期を過ぎた野球選手を演じた「さよならゲーム」、同じく野球選手をロバート・レッドフォードが演じた「ナチュラル」、ジョン・ボイトが父親としてボクシングチャンピオンを目指す「チャンプ」など枚挙にいとまがないわけで。
そこへ米国映画お得意の、優れているのに何かが欠けている者たちが団結して成長を遂げる姿を描くんだから設定としては文句なし。中高年のおやぢだけでなく、若い観客への目配りも怠りなく。
大ネタをカップリングして丁寧に演出すれば面白くないわけはないわけで。
前作「トップガン」はテンポの良さだけを優先。伏線も必然性も説得力もかなぐり捨てて、笑顔の素敵な天才パイロットの恋と友情とちょっとした挫折と最終的な栄光を矢継ぎ早に描いて見るものを無理やり押し倒すような作品だったかと。
どうして女性教官がトム・クルーズ演じるマーヴェリックをそこまで愛するのか。なぜアイスマンとマーヴェリックがそこまで競い合うのか。なぜ事故死したグースの妻はマーヴェリックを許すのか。マーヴェリックのわがままを全員が許して温かく迎えるのか。なぜああも肉体美のパイロットたちがシャワー室で集う場面が頻出するのか(これは関係ないか)。
まどろっこしい説明を省略し、観る者が納得しようがしまいが結末へと収斂させていく(収斂を無視する)。そんな前作に比べて、続編に当たる「マーヴェリック」の方がきちんと作っていると思ったわけです(前作ファンの皆様、申し訳ありません)。
が、しかし。
※ ネタバレ有りなので要注意です。
トム・クルーズ演じるマーヴェリックが、独自に編み出した秘策を若者たちと特殊任務を成功させた時点で終わらせてくれていたら、こんなぼやきもしなくて済んだんですが。
終わらなかったんです。
マーヴェリックとの訓練中に亡くなったパイロットを父に持つルースターを助けるため、マーヴェリックは敵軍基地に降り立つわけです。
必要だったか?ここ。
と個人的には疑問を持ってしまい。
旧式の戦闘機を2人で協力して操縦し、敵軍基地から逃げ出すというハイライト場面がもう1つできたのはできたわけですが。
興奮の絶頂に至る直前に寸止めをくらい、もう1度刺激を与えられて果てたのは果てたものの、一番いいタイミングで終わらせたかった――。
といったもどかしさを味わったわけです。
思い出したのは「バットマン」シリーズの「ダークナイト」。クリストファー・ノーラン監督が演出した傑作の誉れ高い作品ですが、個人的には後半30分が長かった。
せっかく稀代の名キャラクターであるジョーカーの悪行とバットマンの苦悩とをたっぷり描き込んだのに、文字通りジョーカーの末路が宙ぶらりんになったまま、もう1人の悪役トゥーフェイスとの戦いに物語が移っちゃうわけです。
ジョーカーだけで良くはなかったか。
2時間で済んだはずの作品を2時間半に引き延ばす意味があったのか。
というわけでどちらの映画も「ちょっと長すぎ」という感想が一番強く残ったわけです。