優しくされて泣いた話、最強寒波。
「今年も終わる、早かった…」って毎年の1人恒例行事。
新しい仕事が始まった。久しぶりの社会人生活。
しかも日本で、あんなに嫌だった日本で、私は社会人で、会社員で、大人をやってる。
20代前半に好きなことを自由に選んできた代償のような、そんな1週間。日本で社会人として生きるための、年相応の基礎が備わっていないことを痛感した1週間。20代前半をリボ払いにした記憶は無いのに、20代前半の返済に費やされる日々になるのかもとすら思った。
そんな1週間だった。
やりたいことや好きなことがあれば、それが生きる理由や糧になると聞いたけれど、私はそうじゃないみたいで。やりたいことも好きなこともあるのに、今もやっぱり当然のように死にたいなって思う。生きるための糧が自分の中から探し出せず、生きることに苦戦している。
最強寒波襲来の休日、降るはずの雪は雨になって、私はスーパーに向かって歩きながら泣きそうになった。気を抜くと泣きそうだ、って、こういうことなんだと理解できた気がした。
帰り道、イヤホンをつけてわざと遠回りをした。
そうすれば時間がゆっくり過ぎていく気がしたから。
でもやっぱり直ぐに夜が来て今日は終わる。
ちゃんと終わる。寝ずに夜に抗っても朝は来る。
だから死にたくなるんだ。何もないから。
私には何もないから。
これまで何をしてきたんだろうって悲しくて、自己責任の涙がツーッと流れる。
どうしようもなく消えてしまいたい。
病気の話を他人に聞かれるのは嫌だ。
ある手続きで、窓口の担当者が「ちなみに病気は何ですか」と耳の遠い老人に話すような大きめの声で聞いてくる。
あー、隣の人に聞かれてるなぁ、って泣きたくなって、悲しくて。
個室に行きましょうと言われ、ついて行ったけど、そこはカーテンで仕切られただけの空間だった。
隣では過去に脳梗塞で倒れたらしい老人が話をしている。ほら、プライバシーなんて無いじゃんって、また泣きそうで、でも私は大人だから泣けない。こんなことで泣けない。
知らない人に傷つけられたくないのに。
無自覚の言葉の槍が真正面から真っ直ぐにスッと刺さる。もうムスッとしても良かったけど、誰も悪くないから仕方がない。
最後に部屋を出る時、担当者がペンを落とした。落ちたことに気づかなかったから私はペンを拾った。カーテンを抜ける時「ありがとうございました」と自分なりに丁寧に言った。
私なりに、できる限りの気遣いだった。
帰宅間近に電話が鳴って、今度は違う部署の人からだった。年配の男性が「ごめんなさいね、病気の名前を聞いてもいいですか?」と小声で聞いてくれて、それが嬉しくて、その優しさに涙が落ちた。優しかった。
電話なのに、顔も見たことないのに、私の気持ちに寄り添ってくれた。小声で聞いてくれた。それが本当に心の底から嬉しかった。本当に本当に大きな優しさだった。
今日1日、死にたかった私を救ってくれたスーパーマンみたいに。
こうやって私は明日も生きるしかない。
誰かにとっては当たり前かもしれない優しさに救われて繋がれている私だと思う。
明日の朝、目が覚めないまま消えていられたら全ての悲しみが報われるはずなのに。
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