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「引き汐のとき」190525 について

 こんにちは。深水きいろです。

 昨日「あみもの第十七号」への感想に対しての感想を誠にありがとうございました。そして、ついでに載せた私の寄稿連作「引き汐のとき」の解説へも感想を頂きました。ありがとうございます。続きも読みたいという奇特な方が何名かいらっしゃったのでこのさい全部載せちゃいます。えいやっ。

 あ、その前に。

自作の短歌の解説について

 これについて、様々にご意見があるようです。ただ、私は私の歌の扱い方は私が決めます。ほかの方はどうぞ信条に沿って。私も変わるかもやしね。

 先に、この連作の解説をする理由を。みっつあります。

1. 引くくらい分からないと言われるから

 分かりにくい歌を作りたいわけでは決してないのです。ただ未熟ゆえどうしてもハテナばかり産んでしまっているのです。もはやハテナ製造機です。伝わってないよ、伝わってないなら詠んでないのと同じだぞ、なら今回は仕方ない、まずは意味を届けるか、この未熟者め、とそういうわけです。

2. 伝わる歌を詠めるようになりたいから

 上記のとおり、わかる歌を詠みたいのです。読んでくれる人がいる限り解説無しで伝わる歌を作りたい。ハテナは要らない。製造機ごと殲滅したい。(いや、一、二個は残っててもいい。)まあだったら一度分解してみようかと。頭の中で構築したものを短歌として外に出す、誰かに受け取ってもらってからまた頭に入れる、今度は分解して外に出す、受け取ってもらってまた頭に入れる。ちょっとまって、これ、わたし、幸せすぎませんか。付き合ってくださる奇特な方々は仏様ですか。私得でしかないな。ありがとう(まだ始まってもいない)。

3. 解説キャスを聞いて勉強になったから

 先日Twitterのキャスを拝聴しました。自作短歌の解説やってんけど(あ、真面目な文体で書こうと思ってたのにもう崩れてきた、まあいいか)楽しかったんですよね。その方のような知識はわたしは持ち合わせていないけれど、歌意を知るってやっぱりいいじゃない。受け手に委ねて拡げて楽しんでねって言えるほど私の歌はまだ形をなしていないし、もし万一私の歌が上手になることがあったらこんなこともできなくなってしまうのかもしれないしね。いや、そうなりたいけどなれないかもやしなったところでやるかもしれんし知らんけど。知らんけども。

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 さ、なにやら御託が長くなりまして。まずは読んでない方へ、すでに解説している四首のリンクを置いておきます。解説は最下部ですが良ければ素敵な歌を沢山引きましたので他も読んでね。長くて疲れさせたらごめんね。

あみもの第十七号に寄せて(文末にて四首解説)

 疲労は大丈夫でしょうか。お茶は飲みましたか。タイトルの意味は、伝わりましたでしょうか。うん、よかった。それでは残りの六首です。

北行きのみちを一本西よりにたぶん貴方は半分おそい

 帰り道、いつもより一本西のみちをゆくのです。まっすぐに北へゆくより、西へ東へを挟んだ分長く歩くのです。たぶん、半分おそく後ろをあるいている、貴方に偶然会いたくて。会えたかなあ。会えたらいいねえ。貴方が道草食ってたら会えないし私の予想が違えててもタイミングがズレて会えないもんね。
 中学生の頃ってこんな恋だったな。偶然を装って、なるべく一緒にいたかったな。まだ好きとも言えてないのにね。そういえばこの歌は旧かなにすべきところがなかったなあ。

已むをえず流したけれど喉もとで泡はたまげてすべつたみたい

 会社の飲み会って行きたくなくてもいかなきゃいけないときってあって。已むをえず。笑ったふりして飲むんだけどね、ビール。(それでもちゃんとビールは飲む)内心帰りたかったなあなんて思いながら飲む気じゃなかったビールを飲むと、なんだか喉と泡が仲良くしてくれなくて、変なところにはいるんだ。びっくりだよ、こっちも、きっとむこうも。聞いてたんとちゃうで!って喉も泡も思ったんだろうね、ごめんね。ごめんね。

しづやかにとぢる扉の一瞬に春は誰かと笑つてゐたの

 この連作の中で自分以外の人が帰るのは二首だけで、一首が昨日解説したプリンセス・セレニティの歌。まあアレも自分の帰り道に見上げた月のことを歌ってるから厳密には自分も帰ってるんやけど、書いてないからそれはいいの。
 これは、自分から「春」が帰っていくんだ。どこかに。どこだろうね。私の扉はそっと閉まって、閉めているのは私なんだけど、最後にね、「春」がもう誰かと笑っているのが見えたの。直接的な景でいえばそれは例えばスマホで電話をかけていたかもしれないし、LINEを見て顔が綻んでいたのかもしれない。ちょっと発想を飛ばすとお別れもまだちゃんと済んでないのに誰かと付き合い出しちゃったのかもね、「春」。もしくは「帰る」ところのある人だったかな。なんにせよ悲しいね、自分を大切にしようね、みんな。
 さ、春はおわり。夏だよ、夏が来るよ。嫌だね。

遠くから呼ばれたこゑにプリーツのないお喋りは終はらせました

 制服を着ていたのは中学生までだったんだけど、よく制服のまま帰り道に大好きな友達と日が暮れるまで道端で座り込んでお喋りしてたんだ。私も友達も派手なタイプではなくて、くだらないことも話したけれど主にどうやって生きていこうか、どんな仕事をしたいか、なんて話してたんだよね(ませた中学生だな)。おしゃべりは、スカートのプリーツのような山も谷もなく、しずかに。いや、笑いもあったけどね。そんなんで気がつけば、あたりは真っ暗。するとさ、ごめんね母さん、あんまり帰りが遅いから自転車で捜索にくるんだ、母が。いやほんと、心配かけてごめんね。だいたいいつも同じところで話してたから母もそこ目掛けて来るんだけど。今ならケータイもってるのかなあ中学生。遠くから怒ったような呆れたような声がして、そこが、プリーツのないおしゃべりの終わりの合図。続きはまた明日だね、かなちゃん。

永い日を乗るだけ乗せてタルトタタンになつた肩だけ掴んで帰る

 帰るって言い切っちゃった。肩凝りがね、ひどいんです本当に。岩が入ってるってよく言われるのです。一日仕事をするとそれはもう重くて重くて。その日あったことがぜんぶ質量を持って肩に乗りかかってるんじゃないかと思うの。肩だけ切りとって置いて帰りたいくらい。タルトタタンてぎゅうぎゅうづめのぎっしりでしょう。中身も色々でしょう。持つと、思いのほか重いでしょう。もうね、あれなの。でも切り分けるわけにもいかないので、荷物より肩をね、掴んでる気持ちで一生懸命帰るんだ。電車、今日は座れるかな。肩、外せるように進化しないかな。しないな。
 この歌はタルトタタンのおかげもあるけど声に出すのが楽しくて好き。

たんたたんかろやかなツーステツプでたんたたんたんひとりたたん

 オノマトペで遊びつつ気持ちを入れた歌。ひとりで帰るよ。私はひとりで立てるよ。軽やかにゆこう。重いものはおいてゆこう。自分の生きかたは自分でみつけよう。どこかで誰かと交わっていても、悲しくても辛くても、わたしはわたしのステップを忘れないよ。大丈夫。楽しそうでしょう、楽しくなってきたでしょう。えらいね。

あとがきと今後の課題

 昨日の記事と併せて全十首、お読みいただきありがとうございました。最近は実景とともに実感を詠むことが増えてきました。まさに目にしたものを実景とよぶのであればまさに思ったことを言葉にしてるのが実感です。自分では、いい傾向だと思っています。

 虚構の話もたびたび上がりますね。この連作ではセーラームーンも出てくるし春はひとのふりをするし肩はタルトタタンになるので虚構といえばそうかもしれません。ただ、そこには元となる私の気持ちがあります。ふとみた景色があります。気持ちが外に出る時に、その姿を纏って出てきただけなのです。

 私の今後の課題はそれが「飛躍しすぎないこと」(頭の中で繋がっていてもひとには伝わらないと知ること)「情報を精査してから歌にすること」(詰め込み型なので、削ってけずってこれなんですけど、きっともっと削れるし連作なんだから二首にしたっていいんだよね)の2つかな。他にも思いついたら教えてください。成長したいのです、わたし、ぐすん。

次号あみもの第十八号寄稿予定です。

 ということで、長いことお付き合いを本当にありがとうございました。感想やら添削やらアドバイスやら、もしあればとってもとっても嬉しいです。それと評の練習をしたいひともどうぞ自由に使ってください。こねくり回してください。

 次号(今月末にまたひざさんが発行されると思います)あみものにも寄稿予定です。これはそれを作りながら息抜きで書いてます。早めに出したいです、今回は。

 以上、上手くなりたいなあ。心のままに詠みたいなあ。どっちも両立させたいなあ。の、きいろでした。また。

2019.06.11
深水きいろ

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