「あみもの第十八号」に寄せて 後編
こんにちは、昨日に引き続き、深水きいろです。長すぎて力尽きた前編の後編を連ねます。前編が未読の方は下記からどうぞ。
「あみもの第十八号」に寄せて 前編
長いので休み休み読んでくださいね。どんどんゆきます。
アイ スクリーム/岡田奈紀佐
罪悪感みたいな色だトリプルのアイスを食べたあとのカップは
トリプルのアイスというだけで思い浮かぶのはひとつのアイス屋さんしかなくなるのは私だけかしら。昔からあの色使いが苦手だったのだけれどこの歌でそれが一段増しになってしまった。(ごめんなさい)
トリプルって、私はそんな量を食べられるほど甘いものは得意じゃない。いや、得意な人であってもそれだけで罪悪感と繋がるよね、アイスを3倍食べちゃうのだから。食べたあとのカップの底を覗く。あの強気の色味が混ざりあった痕跡を見る。抽象画みたいだなあ。罪悪感てこんな色なんだな、多分、ミントと、イチゴと、チョコレートの。ちょっともたれるね。
ところでこの連作、郁恵ちゃんの「夏のお嬢さん」ともかかっているのかしら。関係ないのかしら。
ふたりの景色/夜凪柊
〈ルール七〉卵が双子だったときケーキ貯金に百円入れる
起きてから眠るまで。ふたりの幸せそうな一日を描く連作です。なにやら決め事があるらしい。〈ルール七〉、ケーキ貯金は可愛いけれど双子の卵ってそんなに遭遇する?わたし自分で割った卵の総数は数えていないけど1回だけなのは覚えているよ。二十何年生きてきて、100円。何歳になったらケーキを食べられるんだろうか。でもそんなことはどうでもいいんだろうな、幸せな出来事を幸せに繋げる発想ができるふたりなら。遅刻したら10円、嘘ついたら500円、なんかよりよっぽど、わくわくするね。
二冊ある本の付箋が挟まったほうを読むたび君を見つける
変わらない明日があって寝る前のココアを褒められる日も増えた
ともに暮らす前からそれぞれが持っていた本、そういうのってあるよね。ふたりとも一人暮らしだと家電は余って大変だよね。そして「君」は几帳面な人なんだな。「早寝」「早起き」で寝る前には決まってこだわりの濃さのココアを飲むのだろう。わざわざ自分のでは無い付箋の貼ってあるほうの本をひらいて、「君」の思考を辿る主体は、すこし尽くし型に見える。〈ルール〉はふたりで決めたのだろうか。そうである事を願う。かつ、主体が息をつまらせないことも。いらぬお節介だね。おやすみ、明日も変わらずしあわせでいて。
シマウマガール/からすまぁ
好きな人だけが動物になる世界カッパに注ぐミネラルウォーター
「好きな人だけが動物になる」?シマウマもキリンも鮫も黒い翼(烏かな)もペンギンも、カッパも好きな元ヒトなのか。もしくは好きな人のことが動物に見えている?前者だったとして、元来よりの動物たちと元ヒトの動物の見分けはつくのだろうか。
いや、まて、だとしてもカッパにミネラルウォーターというのはいかがなものか。大丈夫なのか?悲しいことにカッパの飼育方法はググッても出てこない。祈るしかない。そもそも動物の定義が分からないんだなこの歌たちは。カッパが入るならヒトも動物じゃないか。
だとすると作者には好きな人以外が岩や芋やコンクリかなにかに見えてるのかしら。ああ、こっちの方がいいなあ。そしたらzooの歌(懐かしい)のように読めるなあ。どうか好きな人がたくさんいて、個性的な動物だらけの世界が見えていますように。
さよならランキング/宮下 倖
なんのランキングだろう、何に繋がるんだろう、と進んでいくと、前半がなんのランキングでも無いことがわかる。カワウソが二十一位であることまったく大切ではないし、使ってみたい台詞の一位はなんだっていい。ともかく世の中はランキングで溢れているのだ。
順位には意味などないと言える人あなたの世界に私はいない
そんな中でこれは盛大な皮肉に読める。順位に意味はないと意味づけて、かつ順位の枠があることを明言する「あなた」。ここでもほら、はみ出す人がいるんだ。意味を作ること、ものを生み出すこと、規則や周期や枠組みを見出せば見出すほどどこかでだれかがしずかにあぶれる。
そもそもが圏外だろう呪ってもあなたはわたしの夢など見ない
祈っても、ではないんだな。呪う方が強く伝わりそうだ。なのに夢にも出られない。圏外なのだ。電波が届かない。順位に入るかどうかじゃない。
「さよならランキング」のタイトルに戻って、意味をもう一度考えたい。ランキングに向かって別れを告げているのか、別れを告げるためのランキングも主体の中にあるのか。後者だとしたら「あなた」は何位にのぼりつめただろう。もしくはあなたをさよならするためのランキングは何位まで埋まっただろう。前者だといいな。そんな枠組み、とっぱらってしまえばいい。
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以上であみもの第十八号への感想を終わりに致します。今回も素敵な作品を編んで下さったみなさま、集めてくださったひざさんに御礼申し上げます。
以降にはここ数日の気づきをおいてゆきます。前編でも言った通り知ってる人にとっては今更な内容やと思いますので気になる方だけどうぞ。お付き合いありがとうございました。(中締めを挟むスタイル)
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ここからはあみものに掲載されたお歌を引用しつつ、少し喋ります。今回は
連作の飽きない作品/飽きる作品の違いはなんやろか
です。
連作は、長いから飽きるということでもないし、短いから飽きないわけでもない。あみものは3首から15首と決められているものの幅もあるので、毎号読む度にこれが引っかかっていた。違和感の放置は勿体ないので、今回十八号には書き込みをしながら読み進めたので気づいたそれを3つほど記しておく。
⒈ 一首内での転調
2. 連作内での転調
3. 結句のバリエーション
⒈ 一首内での転調があると、飽きない
前編の、久保さんのお歌をお借りする。
砂時計に目覚まし機能つけるのが三日ぐらいはボクの目論見
記した通りで、①砂時計に目覚まし機能 ②三日ぐらい ③目論見 と3回の引っ掛かりが仕組まれている歌。見出しで「転調」と書いたが言葉はなんでもいい。(わたしがしっくりくるのは「裏切り」なんだけど、この前恋愛短歌同好会のキャスで会長のtoron*さんが「転調」という言葉を使っていてかっこよかったのでお借りした)(借りてばっかりやな)
読者はある程度の予測を持って歌を読む。その期待を31文字の中で何度裏切ることが出来るのか。歌意を保ったまま。なかなかこれが難しい。今回好きだった歌たちにも転調があるうたが多いが、3回というのはなかなかない。久保さんの歌にはこれが多く、11首丸々飽きずに読み切れる。
もうひとつ別の歌を引く。
禁帯出/toron*
砂時計のなかの無風にゆるされて茉莉花の茶葉つぎつぎひらく
奇しくもこちらも砂時計を用いた歌であるが、裏切り方は全くちがう。単純な景としては、砂時計を紅茶のタイミングを測るのに使っているところなのだが、それが①「砂時計のなか」に視点を持っていき ②「無風」であることを再確認させ ③「無風に」「茉莉花」をゆるさせる という、細かいかもしれないけれど上句で3度裏切られるのだ。細かい。細かいぞとろんさん。
久保さんの歌は1首全体で3度だっただけに、こっちはより目まぐるしく期待が裏切られる。それを上手く抑えているのが下の句、「茉莉花の茶葉つぎつぎひらく」という、転調ゼロの落ち着いた響きだ。「つぎつぎ」という繰り返しも安堵感を下支えている。これがとっちらかると読む側は疲れてしまってついていくのを諦めてしまうので、やはり、上手い、上手いぞとろんさん。
ところで脱線するが砂時計の中は本当に無風なのだろうか?砂が落ちるということは中で空気が動いているから、無風ということは無いのではないか? とするとこの砂時計、落ちてゆかないのか。逆さにしていないのか?茶葉がつぎつぎとひらくのは、時間を測れていないからだったのか。茉莉花のお茶、濃くなっちゃうな。(違ったらどうしよう。)
念の為裏切りのない歌も引いておこう。
五月雨と部屋/深水きいろ
ふたりならなんでもやれるというきみは後ろ手を組むくせのあるひと
自分のかい。(ええやないかい。)転調ゼロ。これはこれで気に入ってるのでこれが悪いということではないし、好きな連作のなかにも転調ゼロの歌はたくさんある。大切なのはこのあと、2.に続いてゆくので読み進めて欲しい。
⒉ 連作内で転調があると、飽きない
どういうことかわかりやすく記号をふってある。
(また自分のかい。)(ええやないかい。)
頭の並んでいる記号です。自分がわかりやすくするためなので、伝わらなくてごめんなさい。意味は以下。
下向き矢印↓が、わたしのなかでの転調ゼロの歌。
下から上に戻っているコの字矢印は、倒置法。
その逆の、上から下のコの字矢印は、上の句が修飾。
=は、上の句と下の句で同じことを言っているもの。
〇は、途中に句点を入れても読めるもの。
☆はどれにもあてはまらないもの。
私の連作は、1個空きで綺麗に↓が配置され、それを挟むように被らない記号が振られている。自分で読んでいて飽きないように配置して作った連作を言語化しているのだから当たり前といえば当たり前なのだが、やってみてちょっとホッとした。
そこで、誠に勝手であるが前出のtoron*さんの連作にも記号を振ってみた。(汚い書き込みはほんとごめんなさい気にしないでください)
〇〇は、私の歌の〇は同じ意味。
とろんさんのは芸が細かいので私のほど記号がスッキリしないのだけれど、見てわかる通り、記号も沢山ある上にその並びも規則的ではない。どこまで意図的かは分からないが(むしろ私の↓の等間隔が無自覚だったことが反省点ですらある)これはなるほど、飽きない。
ひっかかりがある歌がある、に加えて、引っ掛かりの位置が違う歌が並ぶ。たまに箸休め的な転調ゼロの歌がきて、また悩まされる歌へ突入する。先程引いた茉莉花の歌の転調が、まるで連作全体にも現われているようだ。
どうだろう、これは意識してやらない限り、多くの人が無自覚なのではないか。転調ゼロの歌を作りやすい人は転調ゼロの連作になりがちで、転調のくせのある人は連作全体でも似たくせが出る。これをコントロールできたらかっこいい。(やりたい。まだできない。やりたい。がんばる。)
そしてさすがに、連作全体で転調がゼロだと、ちょっとつまらない。上手く配置されてこその流れるような歌なのだ。
⒊ 結句のバリエーション
これで、最後です。大体は2までに記載したことで今の私のレベルならカバーできそうな飽きの要因だけれど、もうひとつだけおまけで。
結句は歌の全体の印象の方向を決めるためとっても大切なところなんだけど、それもまた連作になると同じ問題がでてくる。似たような締め方が続くと「さっきも読んだ?」と錯覚してしまうのだ。
よく言われるのは体言止め。でもそれだけではない。
現在進行形の動詞で終わるのか、過去形なのか、願望か、助詞を使った言いさしか、はたまた誰かへの呼びかけか。私はそれぞれ英語の頭文字をとって現在進行形なら「N」、願望なら「W」などと、これもかきこんでいる。気になる人は自分なりの記号で振り分けてみて欲しい。
自分の好きなひとの連作と、自分の連作と、自分の好きではない連作、3種やると大体の傾向が掴めるとおもう。もちろん、今回この記事は私の好みに沿って私の主観で書いているので、転調が多い歌が嫌いな人もいるだろう。それはそれで、その傾向をコントロールできるようになればいいのではないか。人の好みは千差万別、正しさは五万とあるのだから。
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さ、というわけで長々と書いてきましたあみもの第十八号に寄せた感想兼雑感、これにて終わりに致します。
(せっかくこんなに多数の、それも様々なレベルの歌人の自由な連作が集まっているのだから勉強しないなんて勿体ないよね。次号もなにか見つけようね、自分なりに。)
(せっかく読んだのにこんなことかよ、となったレベルの高い歌人の皆様ごめんなさい、きいろはまだまだこんなところにいます、がんばります、読んでくださってありがとうございます)
それでは、また。
2019.07.10
深水きいろ