出生チャート=ホラリーチャート? 命占 卜占問題について
まぜるな危険?
命占である出生チャート解釈と、卜占のホラリーは「まぜるな危険」とも言われます。
ちょうど発売中の「マイカレンダー2022年秋号」の連載コラム「世界占星術事情」「出生占星術も卜占である?!」で、鏡リュウジ氏は「煎じ詰めればすべての占いは卜占である」と言いながらも、早急に結論は出るはずもないので、占いとは何かを考え直すことができればいい、と締めています。
占い業界でも、いろいろな考え方があります。
わたし自身は、出生チャートも、ホラリーの一種だと思っています。
ホラリーチャートは、質問に対する答です。
出生チャートがホラリーならば、いったいどんな質問に対する答なのでしょうか。
そしてもうひとつ重大な疑問が浮かんできます。なぜ、出生チャートだけが、何年も何十年もの長い間、その人の人生を表し続けるのでしょうか。
ずっと心にひっかかっていたこの疑問を一挙に解決する、面白い解釈を見つけたので、記しておきたいと思います。
命占と卜占とは
その話に入るまえに前にあらためて、命占である出生チャートと、卜占のホラリーについて説明しておきますね。
占いにはいろんな種類があるのですが大別して、生年月日など特定の日時から占う「命占」と、カードやダイスや石など偶然を使って占う「卜占」があります。
命占は、太陽や月や惑星の位置で占う西洋占星術や、暦で占う四柱推命、紫微斗数、算命学などで、東西にさまざまな占術があります。どの命占も、個人が誕生したその瞬間のチャート(天体の配置図)や命式に、その人個人の人生の青写真が描かれていると考えます。
一方、卜占は、カードを引いたり、ダイスをふったり、この瞬間、偶然に現れた現象が、問いへの答になっていると考えます。
西洋占星術の一種のホラリー占星術も、質問を受けたその瞬間のチャートを使って占う、卜占です。
ホラリー占星術は長い間、時代遅れな古い占術と思われていました。出生チャートは、本人の出生時間という唯一無二の絶対的、客観的な座標を用います。それにくらべて、質問を思いついた時間でチャートを立てるホラリーは、あいまいで根拠がない、科学的でない、と思われたのでしょう。
ところが近年、ホラリー占いは復興めざましく、全世界的にホラリー占術を使う占星術師が増えています。
卜占では正しく問いかけることが大事
わたし自身、出生チャートを読むモダン占星術から入ったのですが、ホラリー占星術を学び始めたところ、その面白さにすっかりハマってしまいました。
質問したその瞬間のチャートが、質問への的確な答になっているのを実際に見ると、不思議な感動があります。面白いのは、ぼんやりした問いや、問い自体が混乱しているとき、答も混乱したあいまいなものになってしまうのです。ですから、ホラリー占いに限らないのですが、卜術では、正しく問いかけることが大事なのです。
宇宙は、星々は、正しく問いかければ答えてくれるのです。
ということで冒頭の疑問が出てきます。
ホラリーチャートが質問への答なら、出生チャートはどんな質問への答なのでしょうか?
出生チャートはホラリー占いの一種?
ホラリー占いで、「わたしが無くした鍵はどこにありますか?」と真摯に天に尋ねるその瞬間の天体の配置に、答がある…とするならば。
誰かがこの世に生まれるその瞬間の天体の配置は、その人の人生の運命を暗示していて、出生チャートは、「今この瞬間に生まれる人の運命は?」という質問への答と考えることができます。
けれどそれでもわたしが納得できなかったのは、占いの効力の長さでした。
ホラリーは、質問に対しての答です。
鍵が見つかるかどうか、家を買うべきかどうか、あの人と両思いになれるかどうか。どんな質問でも、せいぜい数ヶ月。
けれど、出生チャートは、数十年、人によっては100年以上、効力を持つことになります。
ホラリーチャートとしては、異例の長さです。
なぜ出生チャートだけが特別なのか?
それがずっと謎でした。
養老孟司先生の本にヒントが
答のヒントは、解剖学者の養老孟司先生の著書にありました。
養老先生は、個性とは「肉体」だと述べています。長年解剖学者として、老若男女、さまざまな人の解剖にかかわってきて、「人の体はひとりひとり違う」と、いやというほど実感したのだそうです。
「先生、このご遺体は間違っています。教科書に載っているのと違います」と言った医学部の学生さんがいるそうです。もちろん、間違っているのはご遺体ではなく、医学部の学生さんです。そのくらい、違うのです。
わたし自身、手相占いをするのですが、手相を学び始めたとき驚きました。手相はどれもこれもひとりひとり違っていて…教科書に載っていない線のオンパレード! 医学部の学生さん同様ぼやきたくなりました。
養老先生曰く「個性とは、最初に与えられた身体です」。
その人がその人であるという特徴、能力、個別性は、体の形の違いに発しているのです。男性の体。女性の体。大きな体。病気がちな体。器用な体。敏感な体。
性格の違いも、つまりは脳という器官の形の違いです。
元をたどるならば、その体を形成する設計図である、遺伝子の違いです。
この養老先生の言葉がヒントになりました。
出生チャートを「どんな肉体を持って生まれてくるか?」という問いへのホラリーチャートと考えるならば、一生効力がある理由も分かります。
生まれてきたその肉体のDNAは、(どのように育っていくかは違っても)一生変わりません。
どんな顔かたちか。
持病があるか。
成人病になりやすいか。
心配性か、おおらかか。
持って生まれたその「体」が一生、わたしたちを形つくる「枠組み」でありつづけるように、出生チャートも、わたしたちの人生に一生関わり続けるのです。
出生チャートの効力の限界
とすれば、出生チャートの限界も見えてきます。
身長180㎝になりえるDNAを持って生まれてきても、栄養状態がよくなければそこまで伸びないでしょう。
逆に150㎝止まりのDNAでも、栄養と運動で、あと数㎝伸ばせるかもしれません。
節制するか不摂生かで、体重は大きく違ってくるでしょう。
お腹をこわしやすい体質も、気をつけることである程度は防げるかもしれません。
同じDNAを持つ双子でも、温かく愛情深い環境で育ったのと、過酷な環境で育ったのとでは、同じ性格にはならないでしょう。
そう、ある程度は、変えられるのです。
意思と、選択と、環境で。
けれど、変えられない部分もあります。
それが、出生チャートなのです。
出生チャートは、その人の一生に影響を及ぼすものですが、それなりの幅と自由度がある、というのが、長年西洋占星術をしてきての実感です。
出生チャートが、肉体(DNA)を表しているとするならば、いろいろなことがスムーズに納得できるのです。
出生チャートは、
「この瞬間生まれる人は、どんな肉体を持って生まれてきますか?」という質問への答。これがわたしがたどり着いた仮説です。
この仮説にはまだ検証の余地があります。たとえば出生チャートから、その人物の肉体的な性別を当てることはできないのはなぜか、とか(男性的か、女性的かは分かりますが)。
さらなる検証と考察を続けていきたいと思います。
ご意見いただければ幸いです。
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