南極のペンギンに会いたい。
空の青、雲と氷の白、海は青というよりは黒に近い。そこにターコイズ色の氷河がプカプカと浮いていて。
色といえばそれくらいだろうか。
荒々しさむき出しのミニマルな世界で、たくさんのペンギンがパタパタ歩いたり、ひたすら泳いだりしていた。アザラシは、二つに割れゆく氷河の上でゴロゴロと転がり、入った亀裂から海に落っこちないように、ゴロゴロ、ゴロゴロと、上手に裂け目を渡り、危険を回避してのっぺりと寛いでいた。
***
「今、時間ある?ちょっといい?」と彼が言った。
え、これって、なんか大切な話でもし始める空気か?と一瞬焦ったのは事実だ。でも、続けて、「一緒に見たいYoutubeの動画があるから。」と言ったので、内心少しホッとして、パソコン仕事の手を止めて、私はテレビに視線を移した。
映し出されたのは、南極ツアーから先日帰還した友人Jが作った、旅の記録ビデオだった。旅から戻って10日、ついに動画編集が終わったらしかった。
生活自体ミニマリストを貫いているJが、いかにも作りそうなビデオだった。
人間の放つ声は一つも入っていない。聞こえるのは風の音、波のさざめき、動物が発する声。そこに乗っかるJの自作アンビエントミュージック。
なんだろう、この感覚。言葉という情報を全く持たない動画なのに、「南極とは何ぞや?」という問いに対する答えをちゃんと提示してくれた気がした。見終わると、南極がどういう場所なのか、10分前よりもだいぶわかっている自信さえあった。
約10分間のその動画を見て、私はふと思った。
あ、これはヴィム・ヴェンダースの世界観に似ている。
「凄い!」とか「キレイだねー」とか「私も行ってみたい」とか、いつもの感想で片付けるには少し物足りない気がした。と言うよりも、そんな言葉さえ出てこないような感動を覚えた。
『パリ、テキサス』で観た荒野のことを思い出した。映像のインパクトが凄く強い映画だった。荒野の乾いた空気感に差し色の赤。映像や音楽が、ストーリーと同じくらいそれぞれに意味を持っているというのだろうか、集合体として訴えかけてくるものがあった記憶だ。
Jの撮影した南極の風景は、あの乾いた荒野とは真逆のイメージだったのに、私は迷わずヴィム・ヴェンダースの世界観を思い浮かべた。
静かなる躍動。色彩なんていらないと叫んでいるかのような、自然の凄まじさや生命力が浮き彫りとなった青・白・黒の世界。この海なら鳴くかもしれない。この空なら、追いかけてくるかもしれない。そんな気がしたのだ。
Jは私にこう即答してきた。
「おもしろいもの引き合いに出したね。多分、『ベルリン 天使の詩』あたりのイメージかな?」
惜しい。でも、ヴィム・ヴェンダースでわかり合えるものがあることが嬉しかった。
『パリ、テキサス』、もう一度観たいと思った。
同時に、ペンギンの群れがワイルドに生きている姿をJは間近で見たのかと思うと、少しうらやましくもなった。水族館では、あの青・白・黒の世界は見えないもんなぁ。
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