キリンモドキ

小学校高学年の頃私は【本当のことが知りたい…】という思いが強く人の言葉の奥に隠された本当のこと…。 ふとした態度の奥に隠された本当のこと…。表情の奥に隠された本当の気持ち…などなどそれは半端ではない強さで私の中に存在していて私を悩ませていました。60年も前からの話です。

キリンモドキ

小学校高学年の頃私は【本当のことが知りたい…】という思いが強く人の言葉の奥に隠された本当のこと…。 ふとした態度の奥に隠された本当のこと…。表情の奥に隠された本当の気持ち…などなどそれは半端ではない強さで私の中に存在していて私を悩ませていました。60年も前からの話です。

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媒介が必要?

以前にも書いたことがあって、そのタイトルを思い出したいけれど、出てこない😖 家族のあり方について、自分が気づいたことだったような気がする。 子どもは、殆どが2歳あるいは3歳くらいまでは、遊びにでかけると言っても、自宅付近か近くの公園で、お母さんと遊びに行く…または、お父さんがお休みであれば、お父さんと行きたい。誰と行くかがとても大事に思っている(お父さんと行きたい!)。こんなふうに書くと2歳くらいかな〜?と思う。それでも、もし小さな島で育てば、周りの子ども達も同じ経験を共有し

    • 安らぎ

      想えば沢山の『事.物.想.願.欲…』を手放してきた。 結果得たものの大きさに驚きを隠せない。

      • 最近の我が家の大きな出来事

        私は幼い頃から母に差別を受けていると思いながら生きていた。ズッとズッと母を恨みながら…時には殺意を抱いたことも幾度もあった。30歳を過ぎた頃、なぜなぜ?という私の中の問いに、その内訳が明らかに…。 親の言うことを聞かないイコール不出来な子ども…というのが母の育った環境で、主にその支配者は母の父、つまり私にとっては、祖父にあたる人物だ。祖母の影は薄く、まるで存在していないかのような存在だった。(勿論祖父は祖母をも支配していた)祖母は田舎の小さなお寺の娘として育ち、本当の意味では

        • 無意識

          ご無沙汰しています…😌 日頃思うことは沢山あるのに、書きたい…というところまではいかなくなってしまっている。 書いていた1年間に、何度この言葉に触れてきただろう?と思う。 無意識はまるでないかのように、人の中に存在している。特に本人には全くと言っていいほど見えない。 森さんが証明している。 そう、あんなふうになんです。 知性や人柄とは全く関係なくなのです。 「自分には差別はない」と言い切る人には、〈必ずある〉残念なことに。 むしろ「自分では全く気づかなかったけれども、私の中

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        媒介が必要?

          新しい年を迎えた

          と言っても、年号が変わるだけで、いつものように次の日が開けただけだ。 人間関係も社会も、世界も政治も自分を取り巻く環境は何一つ変わっていない。 けれども、人は全てがまっさらになったような気(持ち)になる。 都合が良すぎる。まー、それを日毎にやっている人もいる。 昨日あんな態度をとったのに、まるでなかったかのように、「おはよう!」と。 そして、そういう人をあっさりした良い人だと言ったりもする。 私は根本から解決したいので、そのタイプの人に困り果てる。 誰かに話せば、「まあまあま

          新しい年を迎えた

          ブレない人

          総理を知る人は、ブレない人と言うけれど、ブレないのと頑固、かたくな、意固地は違う。 裏付けのないことをブレないようにするのは、まさに頑固、かたくな、意固地…のようなものに近い気がする。 一度決めたら最後まで……。 この言葉好きだよねー、日本人。 最後って、いつだろう?

          メメント・モリ

          久しぶりに書こうと思った。 土いじりをしながら、コロナの事が意識から消えることはない。影響を受け、苦しんでいる人たちのイメージを膨らませていたり、誰も気づかないでいる人たちもあるのだろう…と思ったり。 そして、相反するかのようにに「Go to〇〇…」TVの映像を通して、私が感じることは、まるでバーゲンセールにでも向かうようなイメージ。 経済を支えるため…本当にそうなのかな? 1980年代だったと思うが〈メメント・モリ〉という本に出会った。その聞き慣れない言葉は中世ヨーロッパ

          メメント・モリ

          私、病気なの

          突然にnoteから消えてしまって、ご心配くださっている方がいらっしゃるような気がしています。 病名は【多肉病】そう、体中に肉が…😭 なーんて、いや肉が付き過ぎているのは事実ですが、そっちの多肉ではなく、多肉植物に魅せられてしまいました。 以前からお花屋さんやホームセンターで見かけてはいたのですが……。 この秋は、20年ぶりに庭の植物を種から育てようと、蒔きたいと思っているお花の名前をどうしても(何日も考えていていや、何ヶ月も前からでした。蒔くならあれを蒔きたいなー?!と)思

          私、病気なの

          〈強気の人、気が強い人〉と〈強い人〉は、対極にある。

          強気の人や気が強い人は、実は弱いからそうなってしまう。政治家にはそんな方々が多く見られる。 真に強い人はそんなことをする必要がない。

          〈強気の人、気が強い人〉と〈強い人〉は、対極にある。

          2週間くらい前

          これまで私は幾度となく触れてきた。 普通こうだよね、とか常識を頼りに生きている人たち。普通こう…と言うのだから、そう言う人たちの数が断然多いのだろうと思う。だって普通なのだから。 学校の頃も、何かの団体に属していても、〈多数決〉でことが進んでいった。 なのに、世の中の風潮をなんの抵抗もなく批判する人たちも、またこの人たちだと思う。 風潮というものを作り出している人たちは多数派だというのに…。 自分がそこに加担しているとは微塵も思っていない人たち。この人たちと同じ団体に所属して

          2週間くらい前

          行けなかった夏休み

          今年はコロナで、行けなかった(ストックホルム)私を、娘が写真で癒やしてくれた。娘はこの地でボート遊びや森と親しみ夏休みを過ごしているそうだ。 ↑この建物はゴミ置き場 寄植えのように見える。 いや、寄植えはこういう景色から、知らないうちに真似ているのだと、私は思う。以前にご紹介したラップランド地方とは一味違う北欧の森。 全てが岩盤の上。 今年は娘の夏休み5週間だそう。 因みに昨年は8週間だった。 小学校は毎年同じ8週間。(だったと思う) 以前二人とも育休を使って、赤ん坊だっ

          行けなかった夏休み

          ある日突然に

          noteを始めてから1年も経っていた。当初は自分の生いたちや、両親つまり環境について書き始めた。 沢山の疑問や解決しなければ一歩も踏み出せない問題を抱えていた頃、そして気づき始めてから気づくまでは、書いても書ききれないほど、書きたいことがあった。 そんな生活をしながら、いつの間にか毎日のnoteが日課になっていた。 よって、いつも意識のどこかにあったけれど、ある日突然に意識にないことに気づいた。 それで、もういいんだなー?!と思う。 どうしようかな〜?もうやめてもいいかな〜?

          ある日突然に

          今日のN(嫁)さま(本人も酸欠状態)

          note久しぶりです。 2〜3日前に〈丸ごとバナナ〉というお菓子を買ってあった。Nが「みんなー、冷蔵庫に丸ごとバナナあるからねー!」と皆に伝えた。 今日になっても誰かが食べていないのを見て「Eー、そのまんまバナナ食べないのー?」と言った。みんな何か変???と思っていると、E(20歳の孫)が「丸ごとバナナでしょ?」と笑いながら言った。よくよく考えてみれば「そのまんまバナナだと、ただのバナナじゃない!」と皆が口々に。涙流しながらTが「そのまんまって、何かなかったっけー?」と言うと

          今日のN(嫁)さま(本人も酸欠状態)

          N(嫁)の失礼

          ソファーに夫を挟んでNと私が座っていた。夫が笑いをこらえて、私の方を向いて「Nが手をこうやって(無言で拳の状態)俺にゴミ箱よこせって!」と言ってついに笑い出した。Nから見ると夫の向こう側(つまり私と夫の間)にゴミ箱があった。😆(このゴミ箱はこうやってよくあっちこっちへ行き来する) N「お父さんなら分かるかな?と思って…」とニャ顔。私は早速noteに…。 書きながらNに「さっき、お父さんに何て言ったんだっけ?」と聞いた。上の通り教えてくれた。 今は、頬杖ついてその場所に横になっ

          N(嫁)の失礼

          人生の意味を見つけ出すのは難しい。けれども不可能ではない。歓びも大きい。

          神の存在に気づき、私が〈神の愛の対象〉だと知ること。それが私にとっての最大の意味だ。そしてそれを伝えていく事が私の目的。 さらに私に与えられた家族は私の担当だ。それは、私が選び取った人たちだ。 伝えるというのは、言葉ではなく、その行為だ。聖書に〈天国は、あそこにある、ここにあると言うようなものではなく、まさにあなた方のただ中にある〉と書かれている。 また別の箇所には〈天国への道は、ラクダが針の穴を通るより難しい〉とある。 本当に長く苦しい道のりだった。 常に死を想っていた。諦

          人生の意味を見つけ出すのは難しい。けれども不可能ではない。歓びも大きい。

          未来に備えて過去から学ぶのは、他からは学べないからだ。

          生き方には、お手本や学問は役に立たない。考え通りには成れないからだ。もし成れていると思うなら、厳密に言えば、それは演じているのだ…と私は思う。 自分史は、とても大切だ。

          未来に備えて過去から学ぶのは、他からは学べないからだ。