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セルフ・コンパッションのすすめ①

どうも〜きりんちゃんです。
ここ一年くらいずっと思ってたんですが……

ぬわ〜んか、もやもやする!(笑

このもやもやを具体的に言うと……

・人の褒め言葉を素直に受け取れない
・人の言うことに裏ばっかり考えちゃう
・自分はここにいないほうがいいんじゃないかな?

みたいな?

あと私、趣味で二次創作などしてまして、感想をいただくこと、あります。
嬉しいです。その場で飛び上がっちゃうぐらいフィーバー!!

ですがツイッターのRTやいいねの数にまーたもやもや……
少ないのがいやだなーとか、そういうのね〜。
二次創作でなくても、こうね、人気のバロメーターに見えて、苦しい。なんか、しんどい。

せっかく「好きだよ」と言ってくれる人もいるのになあ……
なんでか「誰も好きじゃない」とおもっちゃう不思議なお脳様!

ってことを、ここ数年考えていたんですよ……!!

なぜいいねやRTって大事なんだ?
影響力?
いっぱいあるほうがモノとして優れてる?
ブクマ多い方がいい?
その「いい」ってどっからきた「いい」なんだ?

ううーん……私は「いいね」が少なくても良い作品は山ほどあると実感してるが……世間はそうじゃない!って言ってるんだよなあ……有言無言問わずね。

で、ふと思った。

わたしはわたしの設定がへたくそなのでは?

わたし、たぶん、いきるのへたくそじゃね?
建築家とか関係なくへたくそ!な気がする、多分だが、へたっぴ。
自分の解放がへたっぴなんだよ……!!
そこはもう気質とか関係なく……ない?

そして肩こりがひどく、整体に行けば、
「身体ガチガチですね~ぜんぜんリラックスできてないのでは?」
と言われてしまう。
それ、他の医者にもよく言われる……
私の体調不良は大半が「ストレス」なんですよ。
でも楽しく暮らしてるはずなのに……なんで?
なんでなんで、とずーーーっと思ってた。

その時に巡り会ったのがこの本!
セルフ・コンパッション[新訳版]
https://amzn.to/3Gjg2yX

どういう経緯で巡り会ったのか忘れてしまったのだけど、「自分に優しくする」というワードで探してて、この本がヒットした。
まず思ったのは「なんじゃこりゃ?」だった。
もう私、十分優しくしてない?ってね。

でもこの本を数ページ読んで気がついた。
ここに出てくる苦しんでいる人は、私そのものだ……。

ああ、そっか。
なんかわたし、自分に厳しくね?
厳しくね~ですか?

ってことに、生きてきてはじめて気がつくのだった……!

自己批判に思い当たりありまくり。

自己批判多かった!
たしかにおおかった!

自己批判することのメリットは……
・自分に鞭打つことでやる気を出させる。
・優秀が当たり前の自分には「優秀」では足りない!という陶酔を味わえる。
・自分に厳しい自分がイイ!
・自分に甘くない自分がイイ!カッコイイ!

た、たしかに……
私はそうやってやる気を引き出してきたな……

無意識にでも「やらなきゃ置いてかれる」「やらなきゃ下手になる」「やらなきゃ見捨てられる」と思ってた。思い込んでいた。
主に親がそういうメッセージを発していて、私はそう受け取って生き延びることしかできなかった。

でも「そればっかり」になっちゃうと、馬車馬になって……死んじゃう……!?

自己批判やめたい。
自分のことを好きでいたい。

これ、許可できてないような、気がするんですよ……

で、このことを、「設定」と呼ぶ人もいますね~
他にも意識づけやら、引き寄せ、やら……
そのベースになってるのは「セルフ・コンパッション」かなあと思ってます!
なのでセルフ・コンパッションを読んだ後に、この手の本を読むと言っていることが理解しやすくなる。あぁ、こういうことを言っていたのか!って。

私は設定といういいかた、なかなか好きです!
言い得て妙なんですよね……肯定も否定もしてない。「あるがまま」で。

そしていまの私の設定が「生きづらい私」だから、私が「生きづらい」んだ!

と、この年で気がつく! やったぜ!(笑

この本で特に好きなフレーズ(もう多すぎるんだけど!)

私たちは
名詞ではなく、
動詞であり、
固定されたモノではなく、
「プロセス」
である。

もうあぁ~~って納得しちゃって、で、私も設定変える!!ってなった!

で、ここ一週間仕事が終わった後読み込んで、ぶえーって泣いて、やっと、自分自身に向き合って、私が何にビビってたのか分かった。

お前は要らない

私が一番恐れていたのは「お前は要らない」だ。
なんか「無能」とか「ブス」って言われるのもそりゃぁ堪えるんですが、一番キツいワードがこれだったんです……!

思えば、親から「お前さえいなければ家族はうまくいくのに」「お前のせいで~~できない!」「お前のせいで~~が不快だ!」と言われ続けた18年。
そりゃ客観的にみれば親の考えはおかしい。私もおかしいと思う。
でも当時の私は聞くたびに「そうなんだ、じゃあ死んだ方がいいな」とずーっと思ってた。
この心の傷はやっぱ、深い。とても深い。
おかげで大学生の時は対人関係で苦労したし(周囲の友人が気にかけてくれたからこそいまの私がいる)、就活も仕事でもその辺はなかなか難儀した。いまは経験でこなせるけど、根本的な解決にはなってないというか……。
「ごまかしてる」だけなんだよな……。ごまかせてるだけいいんだろうが、それはしんどい。

……なんで私、自分のこと、自分の毒親みたいに、いじめてんだ?

まるで世界でひとりぼっちみたい。
自分だけすごく苦労しているみたい。
ひとりぼっち? そうかな?
私には、私がいるんだよ!
「私は私とはぐれることはできない」んだよ!!
その私が私をポコポコ殴りまくってたらしんどいよ……つらいよ、安全地帯ないよ。安全地帯が自分の中にもないのに、挑戦はしづらい。新しい人間関係に飛び込むのもしんどい。
だって失敗したときに癒やしてくれる場所がないもん……ずっと自分に殴られるんだもん……無能だーばかだー嫌われてるんだーいなきゃいいんだーって黒いもやもやが言ってくるんだもん……

え、あれ、おかしくね?
なんで私、自分のこと、自分の毒親みたいに、いじめてんだ?
いじめなくていいじゃん。
ただそう感じてるだけ。感じて、次どうするか考えようよ……!
相手だって私のことを思って、そのときは誘いを断ったのかも、諫めてくれたのかもしれないよ? 決して「お前がいなきゃいい!」なんてメッセージは発してない。そのときタイミングが悪かっただけ、縁がなかっただけですよ! うちの親がオカシイ!

と、浮かんだ瞬間、腹くくったんですよ!

そして私が書いた手紙がこちらです!

むかしのわたしへ

がんばってきたね ほんとうによくがんばった
父と母の価値観で生きてきてほんとうにくるしかったね

ここは安全地帯だから、自分という武器振り回して、がんばりまくらなくていい。
がんばらなくてもいていい。
がんばらなくてもみすてられない。
がんばらなくてもいきていける。
がんばらなくてもおかねははいってくる。
がんばっておかねつかわなくてもいい。
遊べるものはそろってる。

ここは安全地帯だから、自分がいても、誰も傷つかない。
誰も不幸にならない。

自分がいたら、誰かはしあわせになるよ。
わたしはここにいていいよ。
かくたのしみがある。
かきたいことがある。
ここにいるからだよ。
自分は自分は最大の理解者だ。
わたしはしあわせになってもいい。
安全地帯は自分だよ。

と、そんなこんなで……いろいろ、セルフ・コンパッションについて書いていきます!
創作活動で苦しんでる人もセルフ・コンパッション、オススメダゼェ……!

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