
オタク・ルーツと父と私とそこにあったもの
自分の「オタク・ルーツ」ってなんだろうか。
私の場合は「父が買った逆転裁判をプレイしたこと」だと思う。
逆転裁判は12日で22周年を迎えたとのこと。(めでたい!)
2001年の発売から22年。
そうか、私も歳をとったなと感じる。
当時の逆転裁判はGBA版で、私は2が出た頃に主にプレイしていたと思う。随分ませた小学生だった。
なぜプレイすることになったかというと、父がオタクだったからだ。
先日父の記事(下記)を書いたが、その父のことである。
先日の記事のタイトルにもある通り、父は生前右翼で5ちゃんねらーでハロプロオタクだった。
家には某国を嫌う漫画とつんくの本が並んでおいてあったし、父のiPadのブックマークには常に爆サイがあった。
そんな父は、右翼でねらーでハロオタ以前に、
オタクなのであった。
父はゲーム好きであった。
もっぱら任天堂派の父は、ファミコンから最新ゲーム機に至るまで大体のものを買っていた。これは父が亡くなった後にわかったことだが、時に銀行にキャッシングしてでも買っていたらしい。熱量がおかしい。
だから当然私もゲームが好きになった。
初めてプレイしたゲームはもう覚えていないが、ポケモン赤やゼルダの伝説夢をみる島、巨人のドシンなど、沢山やった気がする。
というか、初めは自分がプレイするよりも、父がプレイしているのを横で一緒に見ていた事の方が多かったと思う。
そして、逆転裁判も横で見ていたゲームのひとつだった。
GBAで発売された逆転裁判。
その小さな画面を見ながら、私もこれをやってみたいと思い、自分でもプレイし始めたのだと思う。
小学生の脳みそではどうしても《異議あり!》するための証拠を突きつけることが出来ず、父に聞きながら攻略していたのが懐かしい。
後に、Wiiで蘇る逆転(逆転裁判のシリーズのひとつ)をプレイしている父を見た。テレビの大きい画面で懐かしそうに操作する父は、寡黙ながらもどことなく楽しそうだった。
そして、父は小説や漫画も好きだった。
中でも浦沢直樹や高橋留美子、青山剛昌などの作品は特に好んで読んでいたように思う。
常に漫画や小説が家にある環境。
絵本好き幼児だった私は、まんまと漫画沼にハマっていくこととなった。
父は、私が中学2年位の時から週刊少年ジャンプを買い始めた。
私は、コナンが好きならサンデーを買えばいいのにと思いつつ、父が読み終わったジャンプを読んだ。
斉木楠雄のΨ難やハイキュー、僕のヒーローアカデミアなどの連載開始を見守った。黒子のバスケの紫原戦も読んだ。いぬまるだしっはよく分からないまま読んでいた。
私が高校を卒業する頃までジャンプを買い続けていたように思う。
おかげで私は今でもアニメより漫画派である。
私は漫画派ではあるが、アニメが嫌いというわけではない。むしろ好きである。
アニメを見るようになったきっかけは、インターネットにのめり込むようになったからだと思う。
いつだったかは覚えていないけど、幼少期、サティで父がADSLやPCについて何やら言っていたように記憶している。
そのサティでの出来事の後、実家にPCとインターネットが導入されたように思う。
母は機械やネットに疎いため、きっとこれは父の独断であった。
実家は田舎にあるため、光回線が導入されるまでかなり時間がかかった。それまではADSLを使っていたように思う。
PCはWindowsのXPか2000が入ったブラウン管のデスクトップ。奥行きがとてもある白のモニターであった。
当時実家にはワープロもあったので、長い文章を入力する時はワープロ、インターネットやソリティアをしたい時はPCを使っていたように思う。
数年後、2台目となるWindowsXPのノートPCが家に来た。色はグレー。
私はこのノートPCを主に愛用した。
愛用したといってもインターネットを見たりペンタブを使ったりするだけだったけど、大学に入学するまではこのノートPCを使っていた。
そこでニコニコ動画とYouTubeと出会うことになり、関連してうごくメモ帳というものを始め、そこで様々な作品に興味を持ち、アニメを見始めたように思う。
動画サイトで初音ミクと出会い、そしてそれはかなり衝撃的だった。
機械って歌うのかと。しかも上手いのかと。
本当に驚いた。
初めて聞いた曲はメルト。
ワールドイズマインや初音ミクの消失、アンハッピーリフレイン…沢山聴いた。本当に懐かしい。
今でもボーカロイドの新しい曲が出るとまれに聴く。寝起きヤシの木が好きです。
そして、うごくメモ帳はDSiから出た、描いたパラパラ漫画やイラストをインターネット上にアップロードして、ユーザーと交流するというサービスであった。
私はそれにのめり込み、結果、夜も寝ずにネットの友達とコメント欄でチャットするカス中学生と化した。
不登校になったのも同時期で、学校に行けず暇だったので、余計のめり込みやすかったのかと思う。
うごくメモ帳(以下、うごメモ)の中では上記の初音ミクやアニメやゲームの二次創作が盛んに行われていた。
中でも、初音ミクなどのボーカロイドの曲を使って作られたPVという作品がかなりあった。(実際は自作MVというのが正しいと思う。)
そこで新曲を知り、ニコニコ動画で本家を見るという流れを取っていた。最高だったな。
ランランルー!のドナルドや、よく分からん爆発をするマリオとルイージも流行っていた。すごく小中学生の縮図という感じで、良かった。
そうそう、そういえば私はうごくメモ帳でヘタリアとイナズマイレブンにどっぷり肩まで浸かり、無事イキリ腐女子中学生になった。懐かしい。なかなかに酷かった。恥ずかしい。
でもどっぷり浸かったからこそ、当時ちょうどやっていたその二作品のアニメを見始めた。
そこからオタクが加速していくのであった。
詳しくはまた今度。
私の「オタク・ルーツ」は逆転裁判であり、父である。
私のオタク人生にはいつも父がいた。
父は本当に寡黙で、正直コミュ障ではあった。だから母とも仲良くなかった。
だけど、私にとっては大事な父であり、失いたくない存在であった。
父、よみがーえーれーーー!!!!
今日もあの世でネットを楽しんでいるといいな。
またお彼岸でお会いしましょう。
(私は霊感ないけど!笑)
おやすみ、お父さん。
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誰かと微笑んだ その季節思い出す
星野源 季節 より