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保育園落ちなかったので仕事戻りました的な。

3年以上まえに書いたメモが出てきて泣きそうになったなど。今でもウダツが上がらない一サラリーマンとしてがんばってるぜ、わたし。

→→→→以下がそれ。

うちの息子はお陰様で健康に育っているだけでなく相当な孝行モノである。まず、産まれたのが4月。なんのかんの4月始まりのこの日本ではかなり有利な生まれ月だ。何より限りなく1歳に近いのに保育園の競争が相対的に低い0歳で入園枠を戦う事ができる。
そして無事に入る事ができた保育園は何と家の目と鼻の先にあるのである。しかも認可保育園。これを親孝行と言わず何というのだろう。世間には無認可保育所にも入れずに涙で枕が腐りそうなお母さんお父さんが沢山いるというのに、本当にありがたい話である。
さて、そんな訳で無事に息子は保育園に通い始め、私は会社に復職した。するとどうだろう、自分で自分にびっくりする事が起きたのだ。なんと、仕事が楽しいのである。もちろん、1年以上ビジネスとは無縁の世界でフギャーフギャーと叫ぶ赤ん坊と格闘していた身としては、机の上でパソコンをにらみながらあーでもないこーでもないするのはかなりしんどい。はっきり言ってものすごくしんどい。帰宅すると1ミリも動きたくない程度の疲労レベルである。それでも、そんなヘロヘロ状態を日々過ごすとしても、頭を使って色々な事を考えて、それをメールやら会話やらにアウトプットして形にしていく作業はとてつもなく人間ぽくて、今まで産休育休前には気づかなかったけどかなりカッコイイと思う。

そして1ヶ月。この直前の文章で一旦断筆状態だったので1ヶ月は言いすぎたかもしれないが軽く3週間は経過している。
復職あるあるのドツボに嵌ってさあ大変な直近2週間だった。高熱が何日も下がらない先々週に始まり、やっと登園した保育園で貰ったらしいウイルス性胃腸炎。そして深夜の第1波のゲロまみれになった私に降り掛かる2次感染。結局2週間で病児保育4回、私の有給3.5日を使う羽目になった。
復帰直後のシゴト楽しいモードは瞬く間に消え、看病で終わる土日と極限まで搾り取られる体力、その割に全然貢献できないしなんかマミートラックに思える仕事に気持ちが押しつぶされそうになっている。途中まで書いたこの文章の前半を読んであまりの心境の変化にどっひゃーっとひっくり返りそうになった。そういう時に限って仲間たちの素敵に輝く仕事っぷりが各方面から漏れ聞こえてきて、こんな仕事も満足にできない自分にかなりがっかりすることになる。いや、そういう事にがっかりしないでとにかく仕事を這ってでも続けようというその気持ちにはちゃんと応えてるんだから自分を褒めてやって良いくらいの筈なのに、疲れすぎてどんどん気持ちが後ろ向きになっていく。漏れ聞こえてくる友の近況って、同じ号の日経ウーマンに同い年で既に管理職やってる友だちが2人も載ってたりする話なので(他にも同等のすごさで別の話がありーの)、もうそりゃああんたちょっと比べてもしょうがないlevelじゃん、って思いながらも今の自分との差に切なくなってしまう。
このまま会社にいても出世するわけでもないし(しかも出世したくない。この気持ちが良くないんだろうけど)、だからと言ってすぐに辞める勇気も貯金もないし、毎日のやることはエンドレスだし…立ち止まった瞬間に洗濯物が文字通り山になってしまうし…わ
自分がやるべき事は、会社にしがみついて只々凡百の1人としてサラリーマン人生を全うする事なのだ。自分に言い聞かせてみる。保育園入れなくて、親も近くにいなくて、専任シッターを雇えるほどの高給取りでもない人は仕事をやめなければならなかったんだし、そうでなくてもそんなに理解のない職場で働いていた人は妊娠や出産でやめてるわけだし、そもそも妊娠したら仕事辞めるぜーって思って実際辞めた人も沢山いる訳で…。そうではなく、ドロドロになりながらでも働く事を手放さないってだけでも自分の存在価値は多分ある。
こどもが居ようがいまいが働くのが当たり前っていう世の中の空気を作る為の空気成分のほんの1分子にはなる事が出来るんだから、そしてそれは小さすぎて笑っちゃうけれども、その集まりが空気を作り上げているんだから絶対に、絶対に意味があることの筈なんだ。専業主婦がダメとは言わない、もちろん。でも、働くって事はもっと当たり前に出来ていいはずだ。
今日で息子の発熱も4日目。前述の胃腸炎の後で更に何かを貰ってしまったのだ。先月からほんとに病気じゃなかった日の方が少ないと思う。みんなにこの1年の辛抱だからと言われながらも、心が挫けそうになっている。胃腸炎あがりの身体に鞭打って、それでも、病児保育に預けて私は今日も会社に行く。平々凡々なサラリーマンとして。

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