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人生をクソゲーにしている痛みや苦しみ

霧末だ。

人生はクソゲーだとよくいわれる。
全くその通りである。
親ガチャの要素が強すぎるし、逆転要素は少ないし、大半の人間はやりたくもない労働に生涯を捧げる。

とまあ、ろくでもない要素のオンパレードなのだが、その中でも人生をクソゲーにしているものがあると思う。

それは、痛みや苦しみである。

人生には、肉体的、精神的な痛み・苦しみが溢れている。

これが人生をクソゲーにしている最悪の要素である。

人生以外のゲームにも、クソゲーは山ほどある。
だか、クソゲーであってもそこに痛みはないから、大した問題ではないのだ。
せいぜい理不尽な仕様でクリアできなくてイライラする、みたいなことしか起こらない。
嫌ならやめてもいい。

ところがだ。
人生というクソゲーはそうはいかない。

スト2(最新作はスト6)みたいにストリートファイトして殴られたら痛い。
下手したら死ぬ。

というか家具に足の小指をぶつけただけでも痛い。

そう、ゲームは自分が痛くないから楽しいのである。
痛みまで再現したスト2、バイオハザード、ドラクエ等を誰がやるだろうか。

逆にいえば、痛みや苦しみさえなければ、人生はもっとマシなゲームになるだろう。

俺は、ある程度年数を生きてきたこともあってか、死ぬ状態自体にあまり怖さとか嫌さはない。
ただ、死に至る過程で痛みや苦しみがあるなら嫌ということなのだ。

もし痛みや苦しみがないのなら、どんなことだろうがためらいなくできるだろう。
ゲームをするみたいに。

では、痛みをなくすとはいかないまでも、減らす方法としてはどんなものがあるだろう。

格闘技、筋トレ、ランニング、ストレッチ、こういったもので痛みに慣れる方法。

瞑想や呼吸法で痛みを和らげる方法。

薬を使って痛みをなくす方法。

こういったものがあるだろう。

痛みに慣れるという意味では、過酷な労働条件にいるとか過酷な家庭環境にいるとか、そういうのも痛みに慣れるかも知れないが、長期間続けば心身に悪影響はあるだろう。

結局、痛みに強くなりたかったら、食事、運動、睡眠に気をつけて、瞑想なども取り入れて、前向きにすごそうみたいな教科書的な回答にはなりそうである。

ただ、それだけでもないとは思う。

俺の感覚としては、年齢を重ねた方が痛みに強くなっている気がする。
それは痛みに対する慣れもあるのだろうが、それよりも、鈍くなっている気がする。
鈍くなって感じにくくなっているから痛みに強くなっている。
暑さに気付かずに熱中症で死ぬ老人みたいな理論である。

あと、痛みや苦しみは過大に見積もられているとも思う。
事前の予想を超えてくる痛みや苦しみというのは意外とない。
実際に起こる前の想像で苦しむみたいなのはよくある。

人生の自由度というのは、どこまで痛みや苦しみに強いかで変わってくると思う。
痛みや苦しみに弱ければ人生はよりクソゲー化する。

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