![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/77636392/rectangle_large_type_2_685344d2de221d757a8e7ff295397b4c.jpeg?width=1200)
Photo by
minli_morimori
逆説をはらんだ言葉
先日、うどん屋さんに立ち寄ったら、有名な店らしく芸能人や著名な方のサイン色紙が壁に掲示されていました。そのなかに、高名な心理学者の色紙があって、名前の横に「あるがままに」と一筆添えてある。
この「あるがまま」それに「心のおもむくままに」という言葉を私もよく使うのですが、それらを意識したとたんに「あるがまま、心のおもむくまま」ではなくなるのですよね。
こうした「パラドックス(逆説)をはらんだ言葉」は他にもあります。「自分らしく」「自然体で」「気にしないで」...なんてのも、そうですね。
そんなこと言われなかったら、そうできていたのに、言われたばっかりにそれを過剰に意識してしまって、ぎこちなくなる。その段階を超えるには「意識し続けている」ことかな。すると、いつの間にか忘れて、自然にできるようになっているでしょう。
さて、どんなとき「自分を生きていた」のかなぁって、振り返ってみたら「我を忘れて何かに没頭している」ときだと言えます。
「自分探し」という言葉をよく聞きますが、自分を意識していないとき、自分が消えているときが、最も自分らしく生きていて、まさに「いま・ここに」生きているときなのです。これもパラドックスですね。