コロナで沈没しないよう頑張って欲しい
愚痴を書くのは流儀ではないけれども、コロナウイルスが広がったお陰で公私ともに大変充実というか消耗する日々が続いております。
介護もなかなかしんどい日々ではあるけれど、世の中にはこれだけ「助けを求めたくても声も上げられない人」や「誰かに頼りたいのに誰にも相談すらできない人」がおるのだということを改めて知りました。
幸いにして私は(持病こそあるけれど)肉体的にも精神的にも極めて壮健で、47歳にしておそらく人生で一番体力があると自負できるような状態ではあるのですが、振り返ってよく考えてみれば、それは単に「運が良かった」「運良く、誰かの面倒を見ていられる」「家内も健康で、資産状況も問題なく、子育て、介護に仕事も全部両立させられる」というだけであることに気づきます。もしも、ひとつでも何かが欠けていたら、きっといまごろは誰かに助けを求める側になっていたことでしょう。
同様に「彼らはあんなにうまくいっていたのに」と思える人たちが、コロナ禍の影響で沈没してしまったり、立ち往生しているのは残念です。カネは貸しませんが。でも、どちらかというとコロナ後のしょっぱなが「いかにうまく、そして早く『助けてくれ』と声を上げるかの競争」のようになり、声も上げられないままシワ寄せをもろに喰らい、非常に辛い状態に陥っている人たちにはあまり早急で効果的な支援が具体的には回ってこないままでいる、という状況に見えます。
これらの実情が「アベが悪い」かどうかはともかく、世の中には自助、自己責任ではどうにもならないこともまた多く、同時に個人個人に打てる手が限られているいまであるからこそ、次の時代に向けてどういう未来を描き、そこに向けていかなる活動を積み重ねるべきなのかをしっかり考えなくてはなあ… という想いばかりが強くなりました。医療も地域も教育も出生も勤労も介護も治安も、すべての課題は山積していながら、実はそれらはすべてが地続きで、何をどう優先して適切に対処するべきなのかという議論がいかにいままで欠けてきたのか、肌身で感じるようになりました。
これ、コロナ前まで「東京オリンピック後は大変なんだろうなあ」と思っていたものが、前倒しで一気にやってきて、不況どころか猛烈な衰退を受け止めなければならないのではないかと危惧します。
ちょっと前まで「おっ、コロナでいろいろガラガラポンになるなら、理想論立てて一気に旧弊打破していけばイケるんじゃね」とぼんやり思っていたのは甘かったなー、と。いろんなことをやればやるほど、消耗するじゃん。
大変だぞ、これは。