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【短編⑦】言葉は脆く、されど踊る。


「おぉ、売上が伸びたじゃないか」
 加藤部長は自分のデスクに私を呼び出し、売上数字についての報告を聞いていた。

 あの少女と出会ってから、すでに2週間が経っていた。
 少女が言っていた「人の心を読む」というのは、たいそう便利な力で、飛び込み営業においてはほぼ無敵と言っていいほどの力を発揮していた。

 顧客が何を考え、何を欲しているのかが、手に取るように分かってしまう。
 押しどころと引きどころさえ分かれば、人の心というのは簡単に掌握できてしまうという事実に私はひどく喜んだ。

 なんて便利な能力であろうか。
 ただ一点、私はこの能力を強く呪った。

「君ならできると思っていたよ!いやぁ期待してよかった!」
(阿保だと思っていたが、まぁよくやってくれているな)

「ありがとうございます」
 私は頭を下げた。
 よくもまぁ、ぺらぺらと嘘がつけるものだ。

「これからも頑張ってくれたまえ。売上の報告を楽しみにしているぞ」
(こいつは若いし、人件費も安い。とりあえず目の前に小銭でも転がせておけば動くだろう)

「期待に沿えるよう、頑張ります」
 私はもう一度頭を下げると、部長のデスクを後にし、自分のデスクへと戻った。

「よう、宮地!最近調子いいみてぇじゃねぇか!」
 後ろから聞きなじみの声とともに、肩を軽く叩かれた。

「楠木か。久しぶりだな、宮城にいたんじゃないのか?」
「向こうのお客さんが東京に支店を出したっていうからさ。その挨拶に来たんだよ」

 同期の楠木が声をかけられた。
 久しぶりに見た顔に、私の中に喜びが湧きあがった。

「それはご苦労さんだな」
「よかったら昼飯食いいかねぇか?」

「いいよ。仕事片づけたいから20分ぐらい待っててもらっていいか?」
「おっけー。腹減ってるんだから早くしろよ!」

 そういうと楠木は笑いながら営業ルームの外へと出ていった。
 相変わらず元気な奴だなと、私は彼を常々尊敬する。

 嵐のような男が過ぎ去った後、いつも通りの営業電話の喧騒が戻る。
 私は「よし」と自分にエールを送ると、目の前の仕事に取り掛かった。
 約束の20分が過ぎ、私は急いで楠木と合流する。

「待たせたか。ごめんな」
「いいや、待ってないさ。ちょうど、受付の可愛い娘と話できたしな」

 楠木はそういうと、受付嬢に手を振った。
 受付嬢は恥ずかし気に顔を俯かせながら、恥じらった姿で小さく楠木に手を振り返した。

「お前ってやつは……彼女いなかったっけ?」
「あぁ、いるよ。でもやっぱりきれいな子に声はかけないと失礼だろう?」

 相変わらず変わってないなと、私はクスリと笑った。
 ビルを出てすぐの、5分ほど歩いた場所に老舗の蕎麦屋がある。
 以前に一度だけ、楠木と新人研修の時に行ったことがあるお店であったが、東京に来てから初めて美味しいと思えたお店でもあった。

 少し値段は高いものの、こういう特別な日にこの蕎麦屋に行くことを習慣としていた。
 お昼のピークを過ぎた13時過ぎの店内は、ポツポツと座席が空いていた。
 店員に一段上がったところの畳の敷かれた座敷のスペースに通される。

「天ざる定食2つで」
 座ると同時に食事を注文した。

「久しぶりだな、お前と昼飯なんて」
「楠木こそ、ちゃんと飯食えてるのか?」

「当たり前だろ。あっちは物価が安いんだ。助かるよ」
「こっちは物価が高くて困るよ。どこにも遊びにいけやしないよ」

 出された温かいおしぼりで手を満遍なく拭う。
 冷えた湯飲みのお茶を飲み、2人は一息ついた。

「そういやさ。美佳ちゃん、結婚したな」
 楠木は突然話題を変えた。

「あぁ……知ってる」
「なんだ、悲しくないのか?」

「不思議とな。多分実感がないんだと思う」
「そういうもんなのか」

 お互い探り合いながら話をしていると、天ざる定食が目の前に運ばれた。
 いつ見ても、この天ぷらの盛り合わせというのは心を躍らせてくれる。

「食べようか」
 楠木は早速手を合わせ、箸を持つ。
 私もそれに合わせて箸を持ち、天ぷらを一つ持ち上げた。

 野菜が盛り合されているのだが、私はその中で真っ先に茄子を摘まんだ。
 黄金の薄衣を纏った茄子を一口齧る。
 中からは茄子の溢れ出る水分と、さっくりとした薄い衣が相まって、私の口の中に幸せを広げた。

 それから間にそばを挟みながら、烏賊、椎茸、大葉、海老を摘まむ。
 そして最後に、定食としてついてくる茶わん蒸しに手を伸ばす。

 その蕩ける卵の甘さに、私の食欲は限界にまで満たされていった。
 私と楠木が黙々と定食を平らげ、「ふぅ」と一息ついた。

「そういえば楠木、美佳ちゃんと接点あったっけ?」
「あ、あぁ……たまに東京に来るときに飯食ってたぐらいかな。よく相談とか聞いてたよ」

「相談……?」
「お前のことだよ。私のせいでってずっと思い詰めてたよ」
「そっか……」

 私は俯いた。
 すぐさま、立ち上がりお勘定を済ます。
 お店の外に出ると、楠木の携帯に着信が鳴り、急ぎの用が出来たとすぐにタクシーでどこかへ向かった。

 私は今後、楠木と関わることはないだろう。
 この時ほど、人の心など読んでも碌なことがないと悟った。

(美佳ちゃん……いい声で鳴いてたな)

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静 霧一/小説
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