静 霧一 『耳なし霧一』
耳がもげるほど痛い。
先日まで春の陽気だったというのに、今日になって、2月の冷たさが牙を剥いた。
私は耳の痛みを我慢しながら、家路を急いだ。
家に到着するなり、私は体を縛るスーツを脱ぎ捨て、スウェット姿となる。
そして片手にスマホを握りながら、ソファーにもたれかかった。
「外、寒すぎでしょ」
私はツイッターに呟いた。
すると、どこからともなく「そうですね!」やら「大丈夫ですか?」やらの反応が音を鳴らす。
私はその通知音に快感を覚え、悦に浸った。
その反応を喜びながら、私は神のごとき視線で、返信を選別していく。
ふと、タイムラインに熱中していると、スマホをいじる指に何やら小さく動くものが見えた。
そのかさかさとした動きは、一瞬蚊のようにも見えたが、羽はついていないし、血を吸われている様子もない。
よくよく目を凝らしてそれを見ると、それは黒い文字であった。
「え?」
私は硬直する。
硬直をしている間にも、だんだんとその文字がスマホの画面からこちらへと這い出て、増殖していく。
慌てて両指を放そうとするが、接着剤につけられたように、指が離れようとしない。
無理やり剥がそうとすると、ピリっという音が聞こえ、スマホの画面に小さな血の一筋流れた。
「あ、あああ、ああ!!」
ツイッターのタイムラインの文字がどんどんと更新され、その度に、その文字たちが私の手から腕を這い上がってくる。
私は混乱しながら、洗面所へと急いだ。
真っ暗な洗面所の電気をつけ、真っ先に鏡を見る。
すでに文字は、腕から下半身、そして首筋まで真っ黒に染めており、顔にまでがさがさと這い上がっている途中であった。
これは現実なのだろうか。
恐怖で目を閉じることもできず、増殖する文字の行方を、血走った眼で凝視した。
ついに、文字はスマホから這い出ることをやめた。
それはすでに、顔が真っ黒になるほどに埋め尽くしていたが、ふと不思議なことに気づく。
耳だけは綺麗なのだ。
はて、これはどういうことなのか。
私は呆気にとられていると、ふと、耳元から微かに「ピコン」という音が鳴った。
それはあの返信の通知音に似ていたが、どうもスマホから音が鳴っているわけではない。
鏡越しに耳元を見ると、一匹の文字が耳元に近づき「ピコン」と鳴いているではないか。
その鳴き声は、やがて他の文字たちに感染していく。
次第に顔にいる文字たちが「ピコン、ピコン」と鳴き始めた。
やがて、耳元が幾百もの「ピコン」という鳴き声が合唱する。
「やめてくれ!やめてくれ!!」
私は叫んだ。
叫んだが、文字の鳴き声にそれを掻き消され、もはやなんと叫んでいるのか分からないほどである。
音がついに鼓膜の奥へと侵入し、そして、「ピコン」と、一声鳴いた。
それを最後に、私の意識は暗転した。
◆
「スマホ依存症ですね」
先生は私の顔を見ることなく、カルテにペンを進める。
それでも私は、昨夜起こった出来事を、先生に向かって、手ぶり身振りを大げさにしながら話した。
だが、先生はそれを「ストレスによる幻覚」や「白昼夢の一種」などと片付け、まともに聞こうともせず、カルテに症状を書き込んだ。
結局、私には精神安定剤のロラゼパム錠0.5mgと睡眠導入剤マイスリー錠5mgを2週間分処方されただけで、「経過観察」ということとなった。
本当に悩んでいるのに、どうしてだ。
どうして、真剣に取り合ってくれないんだ。
私は、病院のトイレに行き、鏡の前に立った。
すでにスマホも家に置いてきて、手には財布しか持っていない。
それなのに、どうしてだ。
私の耳元で「ピコン」という鳴き声が聞こえた。
おわり。
◆
あとがき。
友人に「耳が痛くてもげそう」とLINEで送ったら、「耳なし霧一だね」って上手いこと言われたので、私も上手いこと小説で言い返してやりましたよ!ええ!(どや顔)
多分感極まって、画面越しに友人は涙でも流してるんじゃないですかねぇ!
すいません、調子乗りました。
おわり。