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ショートカットに花束を。

 
 私は昨日、髪を切った。
 耳が出るほど短くて、後ろ髪は刈り上げて。
 なんだか後ろめたかったものが、全て無くなったようにも思えた。

 ラズベリーの香りのワックスで、くしゃくしゃと髪を散らかして、少しだけ前髪を整えてみたりして。
 無造作ヘアなんて洒落た髪型の憧れが叶い、私は思わず歓喜した。

 白シャツに黒のスリムジーンズで、紺色のコンバースの靴紐を結ぶ。
 誰もいない部屋に、「いってきます」と呟き、私は慌てて外へと飛び出した。

 今日はなんだか風が気持ちよく感じる。
 初夏の風がひゅっという音を立てて、私の頬をかすめていった。

 私は思わず髪が乱れたと、あるはずのない横髪を耳にかける造作をする。
「あっ」という声とともに、空を切った指を下ろし、恥ずかし気に俯いた。


 いつも通りの街路樹が、今日はなんだか新鮮に思えた。
 レンガ調のこの床も、いつもなら慣れないヒールのカツカツとした音が鳴るはずなのに、そんな不便さもない床を握るコンバースは、それまた自由気ままに私を踊らせた。

 あの人との約束まであと30分。
 今日は、なんて顔して会えばいいのだろう。

 私は女友達なんて呼び名は嫌いだけど、今日はそれもいいのかもしれない。
 だって私だってあなたに釣り合うように格好よく決めてきたんだもの。

 私は、ふと立ち止まった。
 いつもなら素通りしてしまう花屋の前でだ。

 なんでだかわからないが、花束なんて持っていったら彼女は喜んでくれるだろうか。
 私はほわほわとした妄想を浮かべながら、花屋の店員に「ピンクと黄色の花束を作ってください」といった。

「何かご希望のお花はありますか?」と聞かれたものだから、花に詳しくない私は戸惑ってしまい、目に入った小さな向日葵を指さして、「これをいれてください」とだけ答えた。
 花屋の店員は「ありがとうございます」といい、いくつかの花を吟味しながら、一つの色鮮やかな花束を作った。

「ラッピングは……記念日用でお包みしますか?」
「はい!」

 私は元気よく答える。
 記念日と言えば記念日なのかもしれない。

 平穏な何気ない一日に、私は生まれ変わった。
「自分記念日」なんて名前を付けてしまおうかと、ついつい妄想してしまう。


 あの人と会うまであと10分。
 待ち合わせの駅のホームまで、私はホップステップでワルツを踊る。

 いつもならなびく長い黒髪も、今日は私を邪魔しない。
 履きなれたはずのフリルのついたスカートだって、今日はタンスの中にしまっている。
 だって、もう私はお嬢様じゃないんだもの。

 ホームまでの階段が、ピアノの鍵盤のように跳ね上がる。
 時々一段抜かしてみたりして、それは協和音を奏でてくれた。

 あの人のもとまであと4歩。
 ホップステップで、ジャンプして。
 好きな人に、私は出会う。


「香織、待たせちゃったね」
 私は少年のような笑顔で、彼女に花束を差し出した。


『―――ショートカットに花束を』


 おわり

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静 霧一/小説
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