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三文小説


 もし、君が死んでしまう直前に言葉を紡ぐとしたら、僕は何というだろうか。
 そんなこと考えたくもなかったし、想像もしたくなかった。

 それでも現実というのは突飛なもので、神様は悪戯にサイコロを振り、いつもタイミング悪く騒動の目を引かせてくる。
 こんなにも自分が苦しむのなら、僕は君に出会わなきゃよかったんだと思うことだってある。

 それでもそれは過去の話であって、すでに僕と君は出会ってしまっている。
 ありきたりの人間関係の中で、僕は君のありきたりな友達となり、そしてありきたりな恋人となった。

 そう、波風もたたず、雷雲も起こらない、ただ凪のような時間だけが僕たちを包み込んでいた。
 そんな僕らを神様は見かねたというのだろうか。

 ありきたりでは満足しないと、激怒でもしたのだろうか。
 本当に神様なんてくそだ。

 僕は飲み干した缶コーヒーの空き缶を、病室の外に投げ捨ててやった。

 ◆

「ねぇ、ボールペン貸してくれない?」

 君と話した一番最初の言葉を、僕は今でも覚えている。
 まるで小学生みたいな会話だが、これは大学の講義中での会話だ。

 どうも彼女は筆記用具を忘れてしまったみたいで、隣にたまたま座っていた僕に声をかけた。
 田舎から上京した僕にとって、東京はまるで外壁を囲んだ未来都市のようにも思え、僕はそんな迷路のような街の中で右往左往しているものだから、大学に入学しても友達が人っ子一人できなかった。

 僕が周りを避けていたのか、それとも周りが僕を避けていたのかはわからない。
 もし後者だとするのなら、僕はあまりにも傲慢知己な人間だ。

 僕はそんな高飛車ぶった人間ではないので、必然的に答えは前者となる。
 話せる友達が欲しいと思いながらも、どこか受け入れらなかった時の恐怖を抱いていて、いつしか無意識に僕は周りを避けていた。

「一人のほうが楽だ」なんて思いたくもなかったが、現実問題、東京においてはそうであることが正解のようにも思えるほど、一人は楽であった。
 そんな人間だからこそ、僕は千佳の言葉にひどく驚いたのだ。

 僕は彼女の左隣に座っていた。
 彼女の右には茶髪に染めてピアスを開けたいかにも都会慣れした男子生徒が座っているのにだ。
 黒髪に野暮ったい服装を身にまとって、無口そうな僕に話しかけるなど彼女は頭のネジが外れているのではないかと思うほどであった。

 後々わかったことであったが、本当に彼女は頭のネジが数本外れていた。

「あぁ、うん。これでいい?」
「ありがとう!優しいのね!」

 千佳はほくほくとした笑顔を浮かべた。
 肌寒さの残る4月ということもあり、彼女は少しだけオーバーサイズのニットを着ていて、手の甲が隠れるほどに袖は長くなっていた。

 そこから伸びる白い指先に、女性慣れしていない僕はどうも惹きつけられてしまい、どうも胸の鼓動を抑えることが出来ていなかった。

 彼女との出会いは偶然だったのか、必然だったのか。
 僕の個人時な意見としては”偶然”というほうが、ロマンチックというか、とにかく格好がついた。

 それからというもの、その講義だけは必ず隣に彼女がいた。
 ボールペンを貸してなんて言うことはなくなったが、彼女は私に好奇心旺盛なようで、「出身はどこなの?」とか「最寄りはどこなの?」とか「他に講義は何を取ってるの?」とか、根掘り葉掘り聞かれたような記憶がある。

「そんなに僕は面白くないよ」と言ったら、「私が面白いからそれは関係ないよ」と笑いながら言った。
 果たしてそれは正解なのかどうかはわからないが、僕も僕で女の子と話せるのが嬉しくてついつい彼女のくだらない質問に答えていた。

 そんな、ある日。僕は一人で学食に行った時のことだ。

 いつもならコンビニ弁当で済ませてしまうところだが、アルバイトのお金が少しだけ多めに入ったということもあって、ふいに学食のランチメニューが食べたくなったのだ。

 千円札を入れ食券機から「カツカレー」を選択し、窓口で注文する。
 空いてる席を見つけ、湯気の立ったカツカレーをお盆に乗せて歩いていくと、途中6人のテーブルを介して仲良く話し合う男女が目に入った。

 その光景に僕の目は惹きつけられた。グループの中に彼女がいたのだ。
 一瞬目が合った気もしたが、僕はすぐに目をそらした。

 きっと僕の気のせいだったんだ。
 女の子に話しかけられていただけで舞い上がっていたんだ。
 余計虚しくなる。
 カツカレーの味が、少しパサついて感じた。

 次週の講義はお互い隣に座るものの、何の話もせずに黙ったままだった。
 得も知れぬ見えない壁が僕らを阻み、まるで、別次元に彼女はいるものだとさえ感じる。

 これ以上、僕は彼女の隣にいては自分の身が持たなくなる。
 講義終了のチャイムが鳴るとともに、僕は次の講義で席を変えようと決心した。
 溜息とともに席を立つ。

「ねぇ」

 ふいに、呼び止められた。
 僕は振り向いた。
 指先と唇が震え、手の平にはじとりと嫌な汗をかく。

「この後……付き合ってくれない?」
 彼女の俯いた顔に少しだけ影が差しているように見えた。

 その後、僕は初めて講義をさぼった。

 生真面目であった僕は、どうも講義をさぼったことに罪悪感が湧いてはきたが、それでも自分の欲望というもの優先してしまった。
 これも男の性なのだろうか。

 僕は彼女とともに、一駅先の喫茶店へといった。
 どうも彼女はそのお店が行きつけらしく、「ここのオムライス、美味しいんだよ」と教えてくれた。

 ランチメニューを見たが、それも千円以上のメニューが並び、僕はお財布の中身を確認したが、ここでなにも頼まないという選択肢はないし、そもそも女の子の前で「お金がない」なんて口が裂けても言えなかった。
 結局のところ、僕は彼女と同じオムライスを頼んだ。

「この間、私のこと見たでしょ」
 僕はオムライスを食べるスプーンをピクリと止める。

「あ、うん……」
「私、あのグループ苦手なんだよね」

「なんで?」
「なんでって……うるさいじゃん。私はうるさいの嫌いなの」

「じゃあどうして……」
「友達の佳織がねぇ、無理やり誘ってさ。ほんと、男って下心しかなくて困っちゃうよ」

「僕だって男だよ」
「君はいいの。男だけど男じゃない」

「それはどういう意味?」
「んー。その影は魅力的なんだけど、男としては微妙。人間としては不完全。私はその不完全さが好きなんだけどね」

「不完全?」
「君は本当に疑問形ばっかりだね。勉強は苦手かい?」

「苦手ではないけど……」
「ほほう。では、君はペーパーテストではお利口さんな点数を出す口だね。私とは正反対だ。だからこそ不完全なんだよ、私も君も」

 僕は彼女の言っている意味が分からなかった。
 そもそも彼女の中の"不完全"とはどういう線引きをしているのだろうか。
 僕は僕自身を完全と思ったことはないが不完全とも思ったことがない。

「じゃあ、このオムライスで例えてみよう。オムライスを完全形だとすると、このオムライスの不完全形とは何だと思う?」

 彼女は食べかけのオムライスをスプーンで指した。
 僕はそんなこと考えもしたことなかったし、思い浮かべることすらできなかった。
 答えが無数に存在する問題の中から、手探りで曖昧な答えを導き出すことなど到底出来るはずもなかった。

「黙っちゃ会話にならないよ。まぁいいや、質問が悪かったね。例えばだが、オムライスに卵が乗っていなかったらどうだろうか?それはただのケチャップライスであってオムライスではないな。では逆に卵だけあってライスがなかったら、それはただの卵焼きだね。それはわかりやすくて、明確な不完全だ。では、この食べかけのオムライスはどうだ?完全?不完全?」

「……不完全」
 僕は自信なさげに答える。

「正解だね。ではなぜ不完全だと思う?」

 僕は口を噤んだ。
 不完全だということはわかるが、それは言語化するとなるとまるっきり話が変わってくる。
 よく名画を見て美しいと思うが、それがなぜ美しいのかを言語化できないのと一緒の現象だ。
 僕はそれを言語化するだけの感性と知識を持ち合わせてはいなかった。

「私が正解を教えてあげよう。いいかい?この食べかけのオムライスというのは元は綺麗な形の完全形が存在していたんだ。だからここは空白。この食べかけの部分に過去と未来が存在する。人間も同じなんだ。人間も食べかけの部分があって、出来上がった空白に過去と未来が存在している。だけど、今の同世代を見ていると、どうも彼らは未熟なままに完成して、可もなく不可もない形をしている。空白とか隙がないというか。彼らの話す言葉が、全部ネットのコピーアンドペーストに聞こえて面白くないだよね。その点君は穴だらけですごく魅力的だ。私の直感は正しかったみたいだ」

 ふいに魅力的だと言われ、僕は照れた。
 だが、それを裏返せば、僕は彼女にとっての不完全だということの証明であった。

「なんでそんな風に思えるの?」
 僕は僕自身の言葉を口にした。

「私はね、人の人生って、全部ビデオのテープの逆再生をされているって思うの」

「逆再生?」
「うん。生まれてから始まるのではなくて、自分が死んだ地点、つまり心臓が止まった地点が始まりであって、私はその決まった運命の地点までのテープを追体験しているっていえばいいのかな」

 僕は正直意味が分からなかった。
 でも一つ言えることは彼女はそれを本気で信じているようだった。

 運命というのは生まれた瞬間に定められたものであり、僕たちはそれに向かってただのうのうと歩いていく。
 悲しいような嬉しいような、そんな運命を悟った悲観的な影が彼女にうっすらと見えた。

「だから、他の人を見たときに、先が見えてしまうような人は既にそれがその人の完全であって、そこに空白は存在しないの。編集点っていえばいいの?多分このまま何も考えずにのうのうと生きるんだなって。だから完全って本当にくだらないし、魅力も感じない。その点、あなたは穴ぼこだらけ。先が見えないわ」

 彼女は嬉しそうに笑った。
 僕もつられて笑ったが、その笑顔は多分引きつっていたと思う。

 そんな彼女の戯言を飽きもせずに聞いているうちに、だんだんと互いの距離が近づいていった。
 それも運命だったのか、彼女の言う人生の逆行への編集だったのかはわからないが、ともかくいつの間にか付き合うようになっていた。
 まったくもって不揃いな恋人関係であった。

 僕は彼女を抱いた夜、昔の夢を見た。
 根暗で、無口で、そのせいか女の子にいじめられ、ガキ大将には殴られ蹴られ、散々な子供時代であった。

 おかげで僕は未来というものを信じ無くなていた。
 そして、過去という記憶も閉じ、今だけを生きる人間になっていた。

 だからこそペーパーテストは得意であった。
 そこに過去も未来もない。問題だけが存在するからだ。
 だが、人間関係はその逆で、問題はあっても答えがなくて、しかも過去と未来が関係していると余計にややこしい。

 だから人を避けた。おかげで友達なんてものは出来なかった。
 おかげで勉強だけが僕の取り柄となり、いつのまにか学力はめきめきと伸びていって、大学を選ぶ際は国内でも名前の知られる有名な大学を選んだ。

 目が覚めると、隣で彼女はすうすうと寝息を立てていた。

 僕はその頬を優しく撫でる。
 彼女は僕のことを好いてくれているが、こんな穴だらけの僕のどこを好きになっというのだろうか。
 以前にも聞いてみたが、やはり彼女の口から出る答えは「直感」という言葉だけであった。

 ◆

 私は幼いころから、人間はいずれ死んでしまうということを認識していた。
 物心のついた時からだ。

 それが神様からのギフトであったのか、悪戯であったのかはわからない。
 おかげで、一つ一つのことを精一杯楽しむことができ、いらないものはいらないと言えるはっきりとした人間になっていた。

 ちょうど私が中学生になったとき、私はとある夢を見た。
 それは私が病室ベッドに横たわる夢であった。

 それが夢だったのかどうかはわからないが、どうも私の直感はそれを嘘だと認識することが出来ずに、それが自分自身の死にざまだと感じるようになってしまった。

「あぁ、私はいずれ死ぬのか」

 そう思いながらも、人生には悲観せず、前向きに進もうと国内でも名の知られる難関大学へと進学した。
 私は期待した面持ちで入学したが、大学に入学した途端に遊びだす連中ばかりが群がっており、私はなんて馬鹿なのだろうと思っていた。
 ただ私もこの年齢になると、子供のように嫌なものを嫌ということが出来ず、とうとう知り合った友人のグループに無理やり参加することとなってしまった。

 本当に嫌だった。
 まるで私の死まで時間を食い荒らされているようで、それが気が気でたまらなかった。

 そんな折、私は深町くんと出会った。
 本当にまっすぐな目をしていて、目の前の問題にしか興味がないような顔をしていて、私はその人間として不完全な未知に思わず触れたくなってしまった。

 それが最初は恋だったとは思わないが、今ではそれも恋だと思っている。

 でも、私はいずれ死ぬ。
 それも近いうちに。

 確証はないが、直感でそれを感じる。
 お互いが不完全だからこそ、それの穴を埋めあうように私たちは愛し合った。
 それはまるで少ない時間を完全燃焼させるように。

 ◆

「痛くない?」
「少し、痛いかな」

 私は病室のベッドで横たわっていた。
 ほら、神様の言ったとおりだ。

 こんなにも予定調和な病気があるものか。
 どうやら、私は甲状腺を癌でやられてしまったらしい。
 ステージⅢということらしく、部分摘出手術が必要となってしまい、私は入院する羽目となった。

「ねぇ、私死んじゃうのかな」
「そんな滅多なこと言うなよ」

 彼は珍しくうろたえていた。
 ネットで調べてみると、甲状腺がんの死亡率というは他の癌と比べると低いものだという。

 だが、それはあくまでも割合であって、それが私に該当するか否かはわかるはずもない。
 私には死の準備が出来ていたと思っていたが、ベッドに寝かされ、いざ入院すると、そんなもの遥かに甘かったと思い知らされた。

 彼もまた、私の言っていた冗談半分みたいな戯言が本当になってしまったのだから、驚きを隠せておらず、平静になる準備もできていない。
 これじゃまるで私が余命一か月の彼女みたいじゃないか。

 お互いが、黙ってお互いの手を握る。

「もし、死んだらちゃんとお墓にお見舞い来てね」
「そんなこと言う元気があるうちは死なないよバカ」

 不安を隠すように私たちは笑いあった。
 それから3日後、私の甲状腺を取り除く手術が行われた。
 案外、摘出手術は2時間程度で終わり、術後は経過観察を行いますということであっけなく入院生活は幕を閉じた。

 病院の帰り道、彼と手を繋ぎながら、並木道を歩いた。

「私、死ななかったね」
「死んだら困るよ」

「どうして?」
「僕らはだって未完全なんでしょ?それなら完全になるまで生きなくちゃ」

「私はいいよ、未完全なままで」
「僕は嫌だね、未完全なままじゃ」

 お互い、クスリと笑った。

「これじゃまるで、起承転結があやふやな三文小説みたいね」
「僕は好きだよ。三文小説」

「どこらへんが?」
「お互いがぎこちなく役を演じていて、展開がめちゃくちゃなことかな。これが三文小説じゃなったら、今頃君は病魔に侵されて余命があと僅かで、僕は悲劇のヒロインになってるよ。そんなの小説の中だけでいいさ。僕は君と平和に生きたいんだ」

「私は嫌だね。もっと人生を華々しく生きてやりたい。そうだな、例えばこのままタクシーに乗って、家に帰らないでどっか旅行に出かけちゃうとか」
「おいおい、滅多なこと言わないでくれよ」

 そんなことをぼやいていると、私たちの目の前にちょうどタクシーが停車した。

「これも運命ってやつじゃない?」
「絶対信じてやらないよ、もう」

 私ははしゃいだ。楽しくてしょうがなかった。

「お客さん行く先はどうしますか?」
 互いに目を合わせると、彼はため息をついた。

「それじゃ運転手さん、行先は―――」

 タクシーは静かに海のほうへと動き出した。

おわり

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静 霧一/小説
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