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静 霧一 『棋譜の庭にて、修羅と花束』

 
「今日も一局、お願いしますねアメリアさん」
「ええ、いいですともカーミラさん」

 草木の生い茂る庭に、白いテーブルが一つ置いてある。
 その上には、白と黒で整えられたチェス盤と、白い丸椅子に座り向かい合う老婆が2人いた。

 赤髪のアメリアと白髪のカーミラ。
 春の風が2人の艶やかな髪を撫で、白色の淡い光がチェス盤を照らす。
 時折、木々の葉っぱが風で揺れる。揺れた葉っぱがぷつりと一枚、風に乗って待ったかと思うと、それはチェス盤の上にひらりと一枚落ちた。

 かれこれ、毎日のチェスが続いて、2年となる。
 両者とも365勝365敗の拮抗した勝負を繰り広げている。
 今日は勝ち越してやると、老婆となって枯れたはずの情熱に水を注ぎこんだ。

 定刻、午後3時の鐘が鳴る。
 対局が始まると同時に、白い柵を挟んだ隣の家の扉がバタンと思い切り開いた。

「なによあんた!なんでいつもそうなのよ!!」
「お前だって人のこと言えないじゃないか!!」

 若い夫婦が怒鳴り合いを始めている。
 「また始まったわね」と笑いながらその光景を見つめる2人。

「ねぇ、どちらが勝つと思いますかアメリアさん」
「それはもちろん奥さんでしょう。旦那さんが勝っているとこなんて見たことないわ。もし旦那さんが勝つことがあったら、次の対局は私はクイーンを抜くわカーミラさん」

 お互いはふふふと笑い合う。
 柵の向こうのあちら夫婦も、かれこれ2年の付き合いとなる。
 アメリアとカーミラの対局は、いつもこの犬も食わない夫婦喧嘩とともにあった。

 アメリアはコインを手に取ると、親指でそれをぴんと宙へと弾く。
 表と裏を回りに回り、アメリアのしわがれた右手の甲に落ち、それを左手で押さえつけると、パチンという音を立てた。

「私は表よアメリア」
 カーミラがそう言い、アメリアは左手を開けると、そこには表向きとなった硬貨があった。

「ふふ、今日はツイてるわね。じゃあお先に」
 そういうとアメリアはポーンをd3へと動かした。

「相変わらず守りが嫌いなのね」
 カーミラはc6へと動かす。
 その後も、盤上の軍隊は老婆の手によって翻弄され、小さき白と黒の箱庭で一進一退の攻防が続いていく。

「あなたね!なんでいつもぐーたらぐーたらしてるんだったらお昼ごはんの一つぐらい作りなさいよ!私はあなたのママじゃないのよ!」
「しょうがないだろう!俺だって好きで夜中まで働いてるわけじゃねぇんだ!休日ぐらいゆっくりさせてくれよ!」

 柵の向こうでは、言葉と意地がせめぎ合い、もはやそこに知恵比べなどなく、力のみで綱を引きあっている。

「なによいっつもいっつも!寝すぎよ!」
「うるさい!お前も小言が多すぎだ!」

 雑な言葉の弾丸が飛び交う。
 だがそれはお互いの急所をわざと外すように暴発している。

「おやおや、まだ恋が忘れられないのね。あの夫婦は」
 アメリアはクイーンをf3へと動かす。

「夫婦の愛なんてそんなものよ。お互いの恋を引きずってるから、それを思い出すために愛を燃やして獣みたいに喧嘩するのよ」
 カーミラはナイトをf4へ動かし、アメリアはe3のポーンでナイトを弾く。

 熟練の指揮官は犠牲を恐れない。
 老婆たちの手探るチェスの盤上は、静かなる読み合いなどではなく、銃口を前に向け続ける銃撃戦となっていた。

 だが、その手も不意に止まる。
 お互いのクイーンが盤上を支配し、最低限の犠牲が支払われたところで、駒が硬直する。

 最大戦力によって喰い殺されることを恐れ、銃口を向けたまま牽制し始める。
 柵の向こうでは、夫婦の愛たる喧嘩もいがみ合いにより、互いに奥歯をぎりぎりと言わせながら睨み合う。

 そんな冷戦を打ち破ったのは、小さきポーンであった。
 討ち死にとわかりながらも、ポーンが盤上を前進する。
 その大きなる一歩の前進にビショップが怯み、後ろへと後ずさった。

「勝負に出ましたねアメリアさん」
「攻めこそが人生よカーミラさん。何事にも挑戦的でなきゃいけなませんよ。それが若さの秘訣ですから」

 アメリアはクイーンでポーンを弾き飛ばし、a7へと進軍する。
 だが、カーミラも負けじとクイーンをe3へと動かし、アメリアのキングを右端へと追いやった。

 アメリアの手に汗が滲む。
 そして震える手で、キングをe1からf1へと移動させた。
 だが、カーミラはその展開を読んでいたようで、それと同時にポーンをf8へと動かした。

「チェックメイトよアメリアさん。やっぱり何事も悟られずにやるのが若さの秘訣よ」

 キングに頭に銃が突き付けられる。
 アメリアはため息をつき、キングを人差し指で倒した。

「あちらさんも終わったみたいね」
 カーミラの言葉にアメリアも柵の向こう側へと視線を向けると、そこには項垂れて深いため息を吐く旦那の姿があった。

「いつの時代も、男は女の愛情と口先には勝てないのよ」
「それもそうね」

 アメリアとカーミラはその光景に笑った。
 若き日の自分たちの愛の情景は、きっとどこにでもある日常の風景だったのだと、懐かしそうに思い出した。
 柵の向こうでは「ごめんよ」と、泣きながら愛おしく抱きしめ合う夫婦の姿があった。

「何かを考えているようで、そんなに深いことはお互い考えていないのね。恋人も夫婦も、頭の中は愛と憎が混乱して、疲れ果てるまで愛して、塵になって消えていく。それが分かっていても感情を麻痺させてしまうのは、神様が人に残したギフトなのかもね」
「今日のあなたは詩人みたいね、カーミラさん」

 アメリアは手を固く結びながら家の中へと消えていく夫婦の後ろ姿を、紅茶を飲みながら見送った。

「きっと、白い庭で戯れるじゃないかしら?」
「ふふ、若いっていいわね」

 風で木々がざわめき、緑色の葉が数枚散っていく。
 いつもと変わらぬ棋譜が一枚、風に乗って空へと舞い上がっていった。

 おわり。

※すごくまろやかに解釈いたしました。
 解釈が気になる方は、インタビュー記事を貼っておきます。

PIXARAの短編アニメーション『ゲーリーじいさんのチェス』
面白いのでお勧めです!


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静 霧一/小説
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