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レシピ本は宝の地図である
『あなたはレシピ本を何冊持っていますか?』
ほとんどの人がこの質問に、「持っていない」と答えるだろう。
逆に、ごく少数の人が、『十何冊持っています!』と誇らしげに答えることもある。
世の中には数々のレシピ本が存在する。
その出版数も毎年右肩上がりに伸び始め、レシピ本の需要の高さが伺えることからも、あなたの知らないところでレシピ本というのは買われ続けているのだ。
レシピ本としてイメージするのは、やはり「小難しさ」ではないだろうか。
専門用語の羅列、包丁の種類、火加減、高難易度の下処理技術、数多のスパイスと材料の特性……etc
専門書のごとく、レシピ本には情報が集約され、料理初心者はそれを手に取ることを躊躇してしまうのだろう。
最近ではレシピ本も変化しており、『簡単包丁いらず』や『簡単漬け置き』、『簡単時短レシピ』というタイトルのレシピ本が増えてきているようにも思える。
ページを開けば、半分は料理の写真であり、作り方は添え字程度に申し訳なく隅っこで座っており、私はよく溜息をつく。
ネットにおいても『お手軽レシピ』という名目のページが増えているが、私は本当にこれでいいんだろうかと、独り危惧を覚えていた。
◆
あなたは料理を誰から学んだだろうか。
最初から『レシピ本で学びました!』なんて人はいないだろう。
台所に立つ母親、もしくは父親から料理を学んでいるはずだ。(私も、もれなく料理を学んだのは父親からである)
少しだけ、その時の光景を思い出してほしい。
初めて包丁を握った日、食材を抑える手はグーにして指を切らないように注意されなかっただろうか。
初めてコンロに火を灯した時、強火だと焦げちゃうからと弱火にすることを言われなかっただろうか。
初めてハンバーグを作った日、ハンバーグは空気を抜いて作るんだよと、笑いながら一緒に作らなかっただろうか。
台所に立つ自分の両親は、『なぜ、これが必要なのか』と理由をきちんと教えてはくれなかっただろうか?
今でこそ、料理を作る時に当たり前に行っていることも、最初はきちんと教えてくれた人がいてくれたおかげなのだと知ってほしい。
だが、昨今はどうだろうか。
宅配サービスは快適すぎるほどに進化し、冷凍食品やお惣菜なども、見違えるほどに美味しくなっている。
『わざわざ料理なんてものしなくていいじゃん』
そんな時代になってしまっていることは否定できない。
古き良き日本の台所風景が、絵本の中でしか描かれない御伽噺になってしまうのも時間の問題なのかもしれない。
◆
料理をしない時代、誰がレシピ本を欲しがるのだろうか。
今や書店に並んでいるのは写真集のようなレシピ本であり、専門書のようなレシピ本は棚の奥深くで埃を被ってしまっている。
結局、レシピ写真集を買ったところで、その大半はぺらぺらとページを捲られただけで満足され、お洒落雑貨として本棚に並び、日の目を見ることはない末路を辿るのだろう。
料理基礎と書かれた分厚いレシピ本は、ありとあらゆる情報が網羅されている。だが、一冊のレシピ本ではカバーしきれない情報もあるため、私は同じ系列のレシピ本を何冊か買うようにしている。
正直、読解力が無ければ読み解くことが非常に難しい。
だがそれでもびっしりとページに書かれた文字に浸るように、私は興奮混じりにそのレシピ本を読んでいる。
レシピ本の調達をしに行くとき、私は書店ではなく、古本屋へと行く。
料理本が並ぶスペースには、使い込まれて背表紙が擦り切れている本か、もしくは一度も使われたことがないであろう新品の本が、玉石混淆として並んでいる。
私が手に取るのはいつも、くたびれた表紙のレシピ本である。
よく読まれたページはヨれており、端っこは三角で折られた跡が残り、重要なところはマーカーで線が引っ張ってあったりする。
『あぁ、この本は愛されていたんだな』
本からにじみ出る人の香り。
そんなレシピ本を見るたびに、なんだか微笑ましくもなるのだ。
◆
『レシピ本は宝の地図だ』
いつの時代も、宝の地図とは、古臭く、シンプルかつ難解で、そして心を躍らせるものなのだ。
古臭いレシピ本はまさしくそれだ。
読み解くのに時間はかかるかもしれない。
覚えることが、必要以上にあるのかもしれない。
シンプルな工程でさえ、幾多の失敗が待ち構えているかもしれない。
だがそれを乗り越えれば、その先には『自分で好きな料理を生み出せるという財宝』が眠っている。
その財宝の価値を少しだけ並べてみよう。
美味しいレストランでご飯を食べたとき、『なぜこんなにも美味しくできるのだろうか』と好奇心を持つことが出来るだろう。
スーパーに並ぶ食材を眺め、『この組み合わせは面白い』と湯水のごとくアイデアが溢れ出ることだろう。
愛する人が身体を壊した時、『どういう料理を作ってあげれば喜んでくれるだろうか』と想像し、創作することが出来ることだろう。
料理なんてしなくてもいい時代である。
だからこそ、私はレシピ本を取って、ぜひともその宝の地図を読み解いてほしい。
時間はかかるだろうが、読み解いた後、きっとあなたの人生は変わっていることだろう。
枯れることのないあなたの価値として、その財宝は心に残り続けるのだから。
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