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静 霧一 『私は不器用な青色と生きていく』


 私は横断歩道の前で突っ立っていた。

 私の目の前を傘をさした大人たちが通り過ぎていくが、立ち止まっている私を見て、「なんだこいつ邪魔だな」と無言の口で罵声を浴びせ、舌打ちをしていく。
 それもそのはず、歩行者信号は進めの青を表示しているからだ。

「進まなければならない」
 そんな声が、信号機から聞こえた気がした。
 その声に釣られ、迷うことなく足を踏み出すその仕草は、まるでマリオネットのようであった。

 ◆

 なぜ、進まなければならないのか。
 僕はよく、そんな他愛もない疑問に憑りつかれ、しばし母親から怒られることがあった。

 信号機の青は、進めの青。
 信号機の赤は、止まれの赤。

 そういうルールなのだと、母親は私に何度も言い聞かせた。
 それでも、私はそれが理解できなかった。
 なぜ空が青いのかと聞いたときの、「そういうものなのよ」という母の投げやりな回答と同じぐらいに、到底理解できるものではなかった。

 理解が出来ないという現象は、人間にとって猛毒だ。
 思考が蝕まれ、何もかもが手につかなくなるほどに、危険なものだ。

 私はこの猛毒を解呪するために、「空は青いのか」という疑問を調べ始めた。
 そもそも空とはなんなのだろうか?
 子供の私はインターネットで調べるも、ページを開けば小難しいことばかり書いてあって、それを理解することが出来なかった。

 そうして私はその疑問をそのまま、理科の先生に伝えてみた。
 すると、理科の先生は私の目をじっと見て「いまからその秘密を教えてあげるよ」と私に個別の授業を開いてくれた。

 その授業は、「空というものは存在しない」という一言から始まった。
 私達が空と呼んでいるものは、宇宙と地球を隔てる空気の壁の内側のことを指していて、はっきりとした境界がないらしい。その境界がなければ、私たちは直接宇宙を見ているのと同じことなんだよと、先生は教えてくれた。

 だがそこで、私に一つ大きな疑問が浮かんだ。
 空気の壁一枚で、宇宙と空が隔てられているのなら、その色の違いはどこからやってくるのだろうか。

 宇宙の色は黒い。
 昔、宇宙図鑑で見たことがあるが、宇宙は青くないのを私は知っている。

 そして、空気にも青い色など存在しない。
 ならどうして、こんなにも空は青いのだろう。
 理科の先生は「光だよ」と優しく答えてくれた。

「君は虹を見たことがあるだろう?あれは七色に光っているが、あれが光の本当の色なんだよ。あの中に青色が混じっているが、太陽光が反射してそれだけが空全体に広がっていて、青色になっているんだ。"見えない絵具"とでも言うべきなのかな?」

 その答えに、当時の私は理解できたような出来ていないような、その時の記憶はあやふにとなって私の記憶の中を漂っている。
 これほど印象的な記憶があやふやにあったのには訳がある。
 理科の先生の言葉が、あまりにも鮮烈で、記憶の断片として鋭く尖って、私の脳みその中に突き刺さったためだ。

「いい?大人はみんな空が青い理由を知らないの。知らないから頭が悪いとかそういうじゃなくてね。空の青さを知らないということが普通であって、知っていることが特異なのよ。君もいつかこの言葉の意味がわかるようになったら、きっと空の青い理由を忘れると思うわ。それが大人になるってことよ」

 理科の先生は優しく私の頭を撫で、教室を後にした。
 当時はわからなかったその言葉も、今ならその意味が痛いほどにわかる。

 大人とは群れる生き物である。
 右を向けば右を向き、正義と言えばそれが正義となり、悪と言えば悪となる。

 それは、人類が進化の過程で勝ち取った生存本能であるから、進化ゆえの思考なのだと仕方ないと割り切ってしまえばそう苦しくないのだが、私は不器用であるからして、それは理解しがたいものであって、飲み込もうとすれば、思考の棘が痛く喉へと突き刺さるのだ。

 私は、右を向けと言われれば、一度考え、左を向いて、意味もなく頭ごなしに叱られて、嫌々右を向いてしまう。
「あの人、本当うざい」と陰で同調を求められても、そんなことはないと、淡々とその理由を語り煙たがられる。

 私は嘘をつきたくはなかった。
 嘘をつけばつくほどに、空の青さを忘れていくような気がしたからだ。

 初めて入社した会社はたった数ヶ月でやめた。
 仕事が嫌いだったわけではない。
 組織という一つ規律に縛られた箱庭が、私には窮屈すぎたのだ。
 その箱庭から見えた空は、いつも灰色であった。

「これが大人になるってことなのかな」

 そんなことが頭をよぎった。
 私が辞めるというと、「勿体ないよ」とか「あと少し働けば楽しくなるって」とかいろんな言葉投げかけられた。
 だが、それらは「前へ進め」という風潮によって操られた言葉なのだと私は気づいた。

「前に進め、前に進め、前に進め」

 足がもげようと、鬱になろうと、大切なものを失おうとも、この世の中は行進することを強制する。
 私たちは、右にも左にも上にも下にも後ろにも向けるはずであるのに、前を見ることだけが、選択肢にないと思い込まされている。
 それがどこかの誰かの都合のためだけだとも知りもせずに。

 無数にある選択肢を塗りつぶしてしまっているのは、つまるところ勇気を持てない自分へと帰着する。
 私は手に持った、誰かのためのペンキを窓の外へと放り投げた。

 そして、私は自分の歩いた道を振り返った。
 自分が自分である原点までを歩き直してみる。
 日記代わりにと、私は原点までの道のりをnoteに書き記してみた。

「嗚呼、どうも私は文章を書くのが好きみたいだ」

 ふと、私は呟いた。

 ◆

 私は横断歩道の前で立ち止まる。
 歩行者信号の赤が青をへと切り替わり、進めを表示した。
「進んでもいいのよ」
 そんな声が信号機から聞こえたような気がした。

 見上げた空の色は、透き通るほどに青い色をしていた。

楽曲:『悲しみの果て』 エレファントカシマシ

『その道を選んだから絶対に外れてはいけない、なんてことはない。振り返って来た道を戻ればいい。そして選びなおせばいい』
※引き返せるし、選びなおせる。文章一部抜粋

※鶴田 有紀さんの投稿記事をモチーフに書かせて頂きました。
 記事はこちらから↓


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静 霧一/小説
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