静 霧一 『春隣』
古臭い六畳間で一人、窓を開けながら春の宵に謳う。
小さなお猪口には蛇の目の青い満月が浮かび、日本酒の馨しき香りが酔いを回した。
ふと、生温かな風が吹く。
アパートの道を挟んだすぐ隣を流れる川を彩るように植えられた桜並木が揺れる。
その音に、俺は耳を澄ませた。
花弁が囀っている。
そう思えるほどに、桜の花弁の奏でる音は心地よいものであった。
もしこの気持ちを、小さな紙の中に描けたのなら、どれだけ幸せなことだろうか。
だが何分、私には北斎のような画力もなければ、廉太郎の音感もない。
唯一できることといえば、この正しく線分された原稿用紙に文字を走らせることだけであった。
だが、どうも言葉が浮かばない。
世に流行る文章というのは、どうも格好のついた小洒落た言葉遊びばかりである。
知的でありながら、慈愛に富んだ言葉たち。
俺はそんな言葉が嫌いだ。
真に言霊の籠る言葉というのは、川底の泥から掬い上げた極小の砂金のようなものであって、そもそも草木も泥もない、人の手によって綺麗に整備された言葉に魂など入るはずもない。
誰しもに耳当たりの良い言葉を並び立てた文章など、私に書く余地などないのだ。
だが、最近はそうもいってはいられない。
六畳一間を見渡せば、この折り畳みの机と、中古で買った岩波文庫の小説が二十数冊並んだ本棚のみしかない。
きっと、誰しもが喜ぶ文章を書いたのなら、きっとこんな明日の飯にも困る生活は送っていなかっただろう。
だが、私にはそれはできない。
机に立てかけられた一枚の写真を見る。
そこには、川沿いの桜並木を背景に取った、君の姿が焦ることなく保管されていた。
「私はあなたの文章が好きよ」
未だにその残響が、君と過ごしたこの六畳一間で木霊していて、俺はその言葉の鎖に縛られている。
君のために紡いだ言葉の一つ一つが、鎖の中に溶けていくばかりで、ごみ箱の中で文字の破片となって死んでいく。
一体何のために、私は文章を紡いでいるのだろうか。
そんな錯乱を掻き消すために、今日も情けなく酒を煽る。
こんなにも情けない俺を見ても、君はまだ好きだと言ってくれるのだろうか。
君が春の亡霊となったあの日から、俺はどうもいかれちまったらしい。
それでも、俺はこの部屋で独り、病気に侵されたごとく、淡々と言葉を連ねている。
だが、言葉というのは吐き出すたびに、大切な何か消耗していくようで、とうとうそれも限界に来てしまった。
そんな出血を酒で洗い流そうとする俺の向かう先は、一体どこにあるのだろうか。
ふと、白紙の原稿用紙に桜の花弁が一片、ひらひらと舞い落ちた。
「嗚呼、綺麗な三日月だな」
俺は情けなく、静かに涙を流した。
そしてまた一片、桜の花弁が部屋の中で風と共に踊る。
春の亡霊が、俺の手をそっと握ったように思えた。
『―――春隣』
終わり。