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静 霧一 『優しい彗星』


 助手席で、君はすうすうと寝息を立てながら眠っている。
 ときたま差し込む月光の光に、君の横顔が淡く照らされ、その様子を見るたびに、私の胸が張り裂けそうになる。

 何て愛おしい横顔だろうか。
 いつもの私であれば、君に気付かれずに、その柔らかな唇に私の唇を重ねていたが、あいにく今の私は運転中であり、ハンドルを手放すわけにもいかず、ただ横目で君を見ることに留めていた。
 昔から私の愛は不器用であった。

 それでも、私なりに本気で君を愛したし、君も私の愛に答えてくれた。
 私はきっと、君の優しき愛情に、蕩けてしまっていたんだ。
 きっとこの訪れようとしている結末も、君が望んだことなのかもしれない。

 赤信号が青となり、私へ前に進めと命令する。
 私はブレーキから手を離し、アクセルを踏んだ。
 閑散とした夜の道を、タイヤが擦りつける音だけが響き渡った。

 ◆

 きっとこれは運命だったのだろう。
 私の感情はそれを都合よく、そう理解した。

 その当時は、愛というものがよくわからずに、私はそれを彷徨いながら求め続けた。
 時折、一夜の迸る愛情なんかにも目が眩んだが、結局、私の手のひらに残ったのは、愛が燃え尽きた後の灰だけであった。

 私はその灰をごくりと飲み込み、またも愛を探しに行く。
 最初は愛を探す理由も、周りに羨ましがられたいだとか、優しくされたいだとか、寂しいのが嫌いだとか、そんなちんけなものからだった。

 未成熟であった私は、愛というものは何事も癒す万能の神とさえ思い込んでいた。
 だが、結局は私は愛が燃え尽きた灰に手のひらを焼かれ、「痛い痛い」と声を上げる。

 それを繰り返していくうちに、わかったことがある。
 私はその手のひらの火傷をいつの間にか、愛の証として愛おしく思ってしまっていたのだ。
 そしていつの間にか、私が愛を欲しがるのは、愛によって出来た傷を癒してもらうためのものに変容していた。

 きっとこんなことを繰り返していては、私はいずれ壊れてしまう。
 部屋で一人、ネットの海に溺れながら助けを求める中で、手を差し伸べたのが君であった。
 私がどんなにわがままを言おうと、どんなに貶そうと、どんなにひきづり回そうと、君は文句ひとつ言わなかった。
 君はいつの間にか「ごめんな」ということが口癖になっているほどであった。

 本当は私が悪いのに、その罪を被せない。
 私は火傷を負いたいはずなのに、君が私よりも先に、その熱せられた愛の灯を手のひらで掴み取り、代わりに火傷を負ってくれていた。

 傷を負いたい私と、傷を庇いたい君。
 歪んだ愛情が2人の繋がりを強く結んでいた。

 君と過ごした時間は、それはそれは幸せでした。

 傷つくことが愛だと思っていた私に、君はそれは違うんだよと何度も囁いてくれた。
 いつしか、私の手のひらの傷は消えていき、私のせいで傷ついた君の手のひらを見て、「君を守ってあげなきゃ」とようやく私が笑えた頃、一発の銃弾が私を貫く。

 たった4文字の「別れよう」という言葉に、私の心が引き裂かれる。
 私がこれから前に進んでいこうというときに何でよと、ひどく頭を抱えたが、その言葉の意味を一番の分かっているのは、他の誰でもない私自身であった。

 君と過ごす最後の夜。

 私は彼の飲むお酒に、少しばかりの睡眠薬を混ぜた。
 ほんの、悪戯心であった。
 少しでも、君といたいという私の本心からあふれ出した行動だったのかもしれない。
 いつもは運転席に乗る君も、睡魔という魔物が邪魔をして、私がハンドルを握ることとなった。

 行く当てなどどこにもない。
 私は君との時間を永遠にするために、車を夜へと走らせた。

 ◆

 到着したのは、海の見える岸壁であった。
 エンジンをつけたまま、ぼーっと私は運転席から夜空を見上げた。

 少しでも、気持ちを楽にしたい。
 私は慣れないお酒を流し込み、そして君に飲ませた睡眠薬を口へと放り込む。
 このまま、夢の中に降り立てば、きっといつまでも幸せでいられるんだろうか。

 私はラジオをつけ、チャンネルを合わせる。
 ピーガーという、耳障りなノイズが混じり合い、人の声が掠れ掠れに聞こえる。
「今日は双子座流星群が見物ですね」
 ラジオパーソナリティーがそんなことを口にした。

 ふと、窓の外を見上げる。
 そこには、尾を長く伸ばし、光り輝いて消えていく流れ星の姿があった。

「あ、流れ星」
 私は一人、悲しげに呟いた。
 お願い事をしなきゃ。
 そんなことを思えば思うほど、私の瞳から涙がこぼれた。
 その涙は、光り輝いて燃え尽きていく流れ星のように、私の頬に尾を引いていく。
 そしてぽたっと私の手の甲に滴った。

 もっと君のことを考えてあげればよかった。
 もっと私が強ければよかった。
 もっと私が寂しさを我慢すればよかった。
 もっと私が愛を返してあげればよかった。

 今更どうにもならない感情がどっとあふれ出る。
 出来ることなら、君と出会ったあの日に時を巻き戻してほしいと、私は必死に流れ星に祈った。
 だが、無情にも流れ星は消えていく。

 もし、永遠に君と居れるのなら、私はもう何もいらない。
 もし、永遠を願えるのなら、君の手をずっと優しく握っていたい。
 もし、永遠が望めるのなら、その勇気を私にください。

 私は、手のひらの愛が燃え尽きた灰を握りしめる。

「きっと、またどこかで会えるよね」

 私は微睡む意識の中で、眠る君の手を握った。
 そして、サイドブレーキを外し、私と君を乗せた車は、夜の海へと静かに旅立った。

『―――愛と狂気は紙一重』

おわり。

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静 霧一/小説
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